サントリーローヤルのCM、ランボウやガウディの広装など、後に続く広告スタイリストに多くの影響を与えた。現在は、映画や舞台、美術などで活躍。
90年代、ヒトとモノの関係を深く描くことで、岡康道のCMは異彩を放ちながらも人々の心にいつまでも消えない読後感を残した。そして「タグボート」を創設し、日本のCMの行き先を常に示してきた。
天才的なプランナーの夭折は若い人たちにとっても衝撃的だった。早過ぎる彼の死を、人々の印象にさらに強く残すためにも、今回の殿堂入りとなった。
1983年のTYO設立に参加後、数々のACC賞を受賞。特に、今回の受賞者である、プランナー三浦武彦、ディレクター早川和良と組んだJR東海の作品では、卓越したプロデュース力を遺憾なく発揮した。2002年モンスターフィルムを創業。いくつものショートムービーをプロデュースしており、人と人を結び付けるキャスティング力、予算感覚のセンスなど、90年代のすぐれたプロデューサーのひとりである。
80年代は、スチールカメラマンがCMに大勢参入した時代とも言える。ブラウン管の再現力が向上したことと、スチールカメラマンの意図を理解する照明の人たちが増えたこともあって、スチールとムービーの垣根は数段低くなった。スチール出身にありがちな硬質な映像ではなく、被写体からこぼれる笑顔や天衣無縫さを素早く拾い、見る人々を幸せにした。ミノルタX-7の「宮崎美子」や、富士写真フィルムの「心の写真」や、テイジンの「秋川リサ」、サントリーオールド「リー・ヴァン・クリーフ」など名作を数多く残した。
スチールとムービーの間をこともなげに行き来したカメラマン。高杉治朗と組んで、サントリーの「樹氷」や、「ローヤル」シリーズを撮影した。
どんな企画にも対応できる技術とキャパシティを持っていて、失敗作がない。「そうだ 京都、行こう。」は今でも撮り続けている。
80年代に制作された宝酒造の「東方に宝あり」のシリーズは、その映像の洗練さとファンタジックなストーリーテリングで、人々を魅了した。
このCMは日天を出て、吉田博昭らとつくった「TYO」が、若いCMプランナーを惹きつけるプロダクションに成長して行くきっかけともなった。やがて三浦武彦とのコンビで、数々の名作を連発することになる。日本のCMに欠けていた、ストーリーテリングの技術を確立したディレクターと言えるだろう。その後の、日本のディレクターたちに大きな影響を与えた。
1980年代から2000年までの間でACCグランプリを5本受賞。ラジオの広告が衰退していくなかで、“ことばの表現”にこだわり続け、松下電器産業(現・パナソニック)や資生堂など、メジャークライアントのラジオCMを高い水準で守り抜いた。
1990年代はJR東海の「クリスマスエクスプレス」のCMから始まった。
今まで、なかなか実現出来なった「ストーリーテリング」の技術によって、三浦はヒトやモノを運ぶ新幹線から「物語を運ぶ新幹線」へと変えた。他にライオンなどヒトとモノの日常をほほえましく描いた。トヨタの「交通安全キャンペーン」のCMも「人と社会にやさしい」という時代のさきがけでもあった。
JR東海「シンデレラエクスプレス」の「クリスマス・イブ」のメロディから90年代は始まったと言って良い。そして、それは今でも続いている。
音楽のCMに与えた影響で言えば、山下達郎の功績は大きい。
ほかに、三ツ矢サイダー、JAL、サントリーなどCMソング多数。