- catch
- クリエイティブディレクター、コピーライター
賞が誰かのきっかけになるなら、できるだけ誠実な仕事に光を当てたいと願い、その影で選ばなかった仕事にも説明が尽くせるか、ずっと考えながら審査をしていました。なんとなく置かれただけの登場人物やセリフになっていないか。この時代にそのメッセージは後ろめたくないか。必要のない1秒を過ごさせていないか。それらをクリアしたうえで、なんかクル!という言語化できない強度があるか。結果、油断のない、サボらなかった仕事が最後まで残った気がします。画面から出てくるすべての情報をここまで詰められるのか、が凝縮された両グランプリには、自分の仕事にもまだ先があるということを教えてもらいました。
「なんかクル!」という審査方針がとても良くて。それぞれが自分の価値観、感覚でこれが好き!を語り合うので、聞いていてとても楽しかったです。議論下手な私も気持ちよく審査に参加いただきました。なんかクル!ポイントは本当に人それぞれで、設定、キャラクター、セリフ、音楽、ビジュアル、クオリティ、偶然性、あらゆる角度から意見が出て、とても勉強になりました。同時に、本当に一人ひとりが面白い、美しい、かっこいい、強い、と頭ではなく心で信じるものを作り続けることこそが、ちゃんと誰かの心を動かし、広告をより豊かに、価値あるものにしていくのだと実感しました。
「なんかクル!」審査方針は極めて明快。しかし、いざ審査が始まるとかなり曖昧だった。この個人的な感覚を話し合って決めるの?もはや多数決だけでいい?結果、二度の投票に落ち着いた。
一度目はそれぞれのクル!を信じて入れる。驚くことに票はけっこう偏った。「お茶の間」が死語になっていく中で、みんなと真摯に向き合った作品が上位に残った気がする。
二度目の前には、それぞれのクル!を語り合う。面白かったのは、好きが伝染していったこと。人の恋バナを聞いているうちに自分も好きになっちゃう現象が、いい大人たちの間で巻き起こった。
Aカテはあまり逆転がなかったが、Bカテは鮮やかな逆転劇が多かった。どうしてだと思いますか?
受賞者の皆様、おめでとうございます。今年は特にオンラインフィルムのクオリティが高く大接戦。広告の概念をはるかにこえ、人々が何度も見たいと感じるエンターテインメントに昇華されているものばかり。日本らしい進化もあり、かつてのコミックやアニメのように、世界をリードできるのではないかとすら感じました。一方テレビCMは、昨年審査させていただいた時以上の気づきが乏しく、進化が感じにくいと思いました。テレビを見ないと公言する人が増える中、あえて「テレビCM」と区切られたジャンルは今後どうあるべきなのか。保護されるべき伝統芸能にならないために、どう進化していくのか。来年のACCが今から楽しみです。
「それもう一回見せて。」是枝監督から何度か出た一言。映画監督が広告審査に真剣に加わってくれてる!って驚きました。(笑)監督がその場にいるだけで、他の審査委員の中の基準も業界外にも通用するかどうか、に変わった気がしました。A/Bという部門の違いについては、メディアの違いという明確な線は見えにくくなってきています。広告表現の領域や方法も多種多様になり、15秒30秒のシリーズと長尺とデジタル動画を同時に審査しながら、審査する頭の中は混乱を極めていました。さらに17人の審査委員、年齢も出自も違うそれぞれが誰に配慮するでもなく、自由に喋ってましたね。この自由さは福部委員長のおかげです。結果、2024年度を語れる受賞作がしっかり選ばれたと思います。
カテゴリーの垣根に10年前ほどの意味はないのかも知れない。Aカテでオンライン作品、つまりBカテじゃない仕事などほとんどないであろうし、番組のリアタイが減っていくほど、視聴環境も同質化してきている。そんな中で、メディアの差よりも15秒と120秒を比べる基準をどこに持つべきだろうか? などと考えながら審査をしていたら、2日間、楽しかったですが、とても疲れました。そしてヘロヘロな方が、良い広告はみつけやすいかも知れません。見るだけでちょっと元気になれるから。「広告がつまらなくなった」という声はかつてないほど大きくなっていますが、まだまだ人を元気にしている広告がある。それがちゃんと実感できた審査でもありました。
BC部門は文脈やリザルトなどの情報を脳内で統合して議論していくスタイルなのに対して、フィルムはそのものについて議論します。どちらも良さがありますが、フィルムはそれゆえ議論が表現に向きやすくシンプルに強度の話になることが多かったです。強度を一番感じたのはTOYOTA GR。よくこの曲選んだなっていう。あと唸り声が聞こえそうな画角の切り取り方が好きでした。ユレルオトコも、裏切りを何度も重ねて最後こういった読後感で終わるCMは珍しいなと。見てて、ええ…って言っちゃいました。AカテとBカテの立ち位置の変化も興味深かったです。『反逆の神話』では、カウンターカルチャーがメインカルチャーを刺激すると書かれていました。カウンターだったBが王道のように振る舞い始めると、いったいカウンターって今どこにあるのでしょう?
フィルムとして「なんかクル!」ものを選ぶ部門ということで、純粋に自分が見ていてハッとさせられたりクスッとしたりするものを選んでいきました。Aカテのフィルムに関しては、その話題量などにあまり影響を受けずフィルムとしての評価がしやすい一方で、Bカテの評価は、ブランデッド・コミュニケーション部門Cカテ(ソーシャル・インフルーエンス)との線引きが難しいと感じました。テレビを見ない世代からすればWEBADが主な広告メディアだと思うので、テレビで流れているかどうかによってフィルムの評価基準が変わってしまう(WEB特有の評価になってしまう)のに疑問があったのですが、多様化する価値観や視聴環境の中でも多くの人が「なんかクル!」と思える骨太なアイデアが求められているのだなと感じました。
「レベルが上がっている…!」と率直に感じたのが、今年のハイライトでした。
特にフィルムBでは、ウェブ動画における多様性であったり、そのコンテンツ力が純粋に高まっているように感じましたし、そうなればなるほどに、フィルムAの15-30秒で培われた一撃必殺のような表現開発力が際立っていきます。
ここ最近、広告に元気がないなんていう話を聞いたりもしますが、着実に、景色は前に進んでいました。
フィルムBのグランプリがマクドナルドの縦型ショート動画だったことを皮切りに、もっともっとCMの突然変異的な進化が増え、同時にフィルムAが培った太い技術力にもう一度スポットが当たると、広告がさらに面白い時代に突入していくだろうなと、期待しています。
「なんかクル!」という、とても明快な審査基準をいただいたので、これはシンプルに審査ができると思ったら大間違いでした。審査している間に自分の中での「なんかクル!」がどんどん入れ替わり、審査する側なのに自分の方が成長させてもらった気がしてすみません。その中で思ったのは「なんかクル!」の「なんか」は決して「なんか」思いついたでつくれるものではなく、緻密な計算で点数をあげていかなければつくれないんだなということでした。無数の分岐の中で、丁寧に選び、つくり、積み重ねていくことの大切さを教えてもらった気がします。私も「クル」ものをつくらなくちゃと思います。ありがとうございました。
はじめて審査委員をやらせていただき、たくさんの作品を見ることであらゆる”今”を見ることができました。
フィルムを通して自分の中で何を大事にするか?というものが今回審査委員を体験して見えてきたような気がします。
いろいろなフィールドで活躍されているかたたちとの審査会、みなさんから出てくる審査の基準は発見も多くかなり刺激をもらいました。
毎年発表されるACCの裏には数日のアツい審査があった...ということも知れました。
伝え方も表現もさまざまでフィルムというカテゴリを通した面白さを改めて感じ、自分の中で”クル!CM”を作っていこう。と思える激アツ審査会でした。
A部門は「カロリーメイト4連覇、広告業界それでいいのか」という議論がやや白熱しました。是枝さんが「広告業界のことはよくわかりませんが、連覇の数に関わらず、良いものは良いとするのが誠実なのでは」といった趣旨のことをおっしゃっていたのが印象的でした。
一方、僕が電通に入った2014年のACC受賞リストなんかを見るとラインナップが圧倒的に豪華で、この10年での変化を感じます。
僕自身、いまTVCMの仕事で面白いものを作るのは難しいというか、そもそも広告主さんが求めていないような空気を感じます。なので、面白いことを考えて、それをちゃんとデータや論理に基づいて説明・実現していく、という面倒なことをめんどくさがらずにやるしかないのでは、と思っています。
よ、よ、よ、4連覇を達成してしまいましたねー、カロリーメイトの受験生応援CM。ほかにおもしろいものがなかったわけではなく!私としては、丸紅の企業CMや、大阪王将の羽根つき餃子のCMなどを推しましたが、次々とグランプリ争いからは脱落していきまして、最後は、子育ての嬉しさと寂しさをシンプルなアニメーションで描いた花王メリットを推しましたが、まったく歯がたちませんでした。まあ、とにかく、福部さん榎本さんをはじめとするスタッフのみなさま、おめでとうございます!来年まさかの、ご、ご、ご、5連覇を阻止できるとしたら「ものすごく強い15秒CM」なのかもしれませんね、Aカテゴリーですので。Bカテゴリーは、「ティロリミックス」「スマイルあげない」そしてグランプリ受賞の「特別じゃない、しあわせな時間」というマクドナルド三羽烏が際立っていましたね。たまたま今回はこの結果になりましたが、どれがグランプリでもおかしくなかったと思います。というか、「ティロリミックス」と「カロリーメイト」がグランプリを争う世界線も見たい気がしましたが、なんかカテゴリーマジックでそうはならないんですよね。審査は、福部審査委員長の進行、時間をしっかりかけつつ、でも必要以上にかけすぎない、という「ちょうどいい」感じがとてもよかったです。審査委員のみなさまもおつかれさまでした!そして受賞したみなさま、おめでとうございます!
審査の楽しさはただひとつ。最初の自分の考えがみなさんの意見を聞いて覆っていくことだ。Aカテゴリーに関しては最後までまったく考えが変わらなかったけれど、Bカテゴリーに関しては、最初と最後の投票で完全に変わってしまった。細胞がまるごと入れ替わったみたいに。
10年前。審査委員長だった時にBカテゴリーを創ったのだけれど、その後の進化というより深化と世の中への届かせ方の緻密さを目の当たりにして、いい意味で裏切られた気がした。なんだか幸せな気持ちである。
上位受賞作には共通点があった。それは、鋭いアイデアとか画期的なフィルム・メイキングのようなことよりも、丁寧であること。さらにその背後にあるこの仕事を大切に扱う態度だった。例外はない。
久しぶりにとても勉強になりました。感謝します。
すべてのCMはオチが全部同じ。笑いを誘うオチ、感動エンド、壮麗なラストカット、どんなものであってもそれは形式上の結末で、本質的なオチは「商品/ブランド」になる。動画広告はそこから逃げられない。
でも、まっすぐな道ではさびしい。決められたゴールがあるからこそ、ほんの数秒や数分の道中が豊かに歩めるように、企画者たちは心血を注いできた。
浴びるようにフィルム広告を見て、考えて、感じたのは、あらかじめ決められた結論に抗うために動画広告は多様性を身に纏ったのかもしれないということ。ドラマ、ドキュメンタリー、映像美、ミームやMV…。広告が束縛から獲得した自由。決まった「終着点」があるからこそ、そこに至るまでの苦闘と実験。ゴールの決まった退屈な道のりが少し特別なものに変わる。
葉脈のように繋がったストーリーの道のりたちの中で、目抜通りか、新道か、僕が歩きたいのはどこだろう?
今回、かなり特殊な審査基準を審査委員の皆さんにお願いしました。【審査委員自身が『これ本当にヤバいから絶対観て!』と激推しできる作品】。その偏愛の総数/熱量が多いモノをグランプリとし、無ければそれも良しとしましょうと話しました。「なぜ?」という意見が出ました。「私達は皆現役のプレイヤーだから、偏愛できる作品ってそうそう無いよ」「推せる作品って10年後も愛せる作品ってことじゃない?そんなの自分の作品でも中々出てこないよ」「グランプリをあげた方がクライアントさんも喜ぶし、広告業界の為になるんじゃ無いの?」「もっと優しい審査で良いんじゃない?」議論はちょっと荒れたと思います。というか荒れました。はい。あ、これ深夜行くな…と思いました。
でも私含めた審査委員全員の共通認識として「広告(=映像)がどんどんつまらなくなってる/小さくなってる」と言う感覚がありました。「私達(ACCフィルムクラフト)が推す映像作品は、世界中のどんな人にも推せる映像」それが斜陽に進み始めてる業界に、何か変化を与えられる事なのでは無いか。そうまとめました。シーンとなりました。
審査委員の一人が話し出しました。
「数年前ACCの審査をした時、面白い映像作品は全体の15%ぐらいだった印象。去年は10%。今年は1%。何かを変えないと、若い人がこなくなる」
勿論たった一回では変わらないです。激辛審査が良い結果を生むのかもわからないです。ただ、意識を変えない限り陽は沈んでいく。
ACCのフィルムクラフト部門に選ばれたって事は、本当にヤバイ作品なんだ!広告業界/映像業界の外にいる人達から、そう思ってもらえたら良いなと思っております。
受賞された皆様おめでとうございます。
柳沢審査委員長からの想いを元に厳正な審査をさせていただきました。
普段見る以上に多角的な目で映像作品を見れて、たくさんの作品への想いを感じられ、自分自身大変勉強になりました!
フィルムクラフトの審査をするにあたって、全体として広告作品に元気がないよね、というのが審査委員の総意だったのかなと思います。
今回の審査会だけではなく、そういう想いの声を聞くことが多く感じます。
でもそういう声が上がるということは、もちろん映像で伝えることを諦めていないということだなと感じています。
これからフィルムクラフト賞にどんどん光が当たって、みんなが憧れる賞になって、映像業界がもっと盛り上がることを祈っております。
受賞作はどれも素晴らしかったですが、特にTOYOTA GR が大好きでした!作為的な技術や言葉は要らずただただ被写体の美しさを信じ、徹底的に細部に向かい合う事で車がまるで野生動物のように迫力のある存在に感じさせられました。「車を美しく撮る」というシンプルな企画に対して真剣に向き合った才能豊かなスタッフの熱意ある遊び心に感謝です。しかし全体を通して見ると残念ながらこのような熱量のある広告が少なくなってる様に感じました。沢山の映像が溢れている今、短い映像にこれだけの熱意と時間と才能を注ぎ込めるのは広告の良さだと思うので、見終わった時に良い時間だったなぁ、と思えるような熱ある映像作りを自分も心がけたいと思います。
今回のフィルムクラフト部門に、グランプリが無いのは何故か……それは審査委員長である柳沢翔のせいです。審査の前に委員長より、厳しい目で審査をして欲しいとあったので…とりあえず人のせいにしておきます笑。
今回のゴールドには、趣旨の違う4作品が選ばれました。数多くの応募作品の中にあっても、この作品達は審査委員の皆さんの意見が一致していた様に思います。正直、どれもグランプリに相応しい作品だと思います。しかし、この4作品中どれが突き抜けて素晴らしいのか。それは決める事が出来ませんでした。もしかしたら後世に語り継がれる様な作品は、もっとずっと高みにあるのではないか?そんな事を思う審査でした。
2024年の空欄になってしまったグランプリには、自分たち映像制作者への戒め、そして未来の映像業界への期待や希望が込められている様に思います。
審査委員長からお話を伺った時から最後まで
同じ目線で作品たちを拝見しました。
中々ない機会、退屈かと思ったのですが、その時間が面白く、しっかりと見ました。
そして率直かつ正直な気持ちを審査会では話しました。
滅多にない大人の討論会、忘れることはできないです。
みんな人間でいろんな視点の中で
作品を創作しているんだと感じ、心が躍ったのを覚えています。
このような若輩者を審査委員に選んで頂いたこと
心から感謝してます。
そして、私も人の心をぶち抜くヤバい作品を作るべく日々精進して参ります。
CMは、最高にとんがった人たちと、短い時間、濃密に関われる、刺激的な仕事ですが、審査会もそうでした。実験的だし、知恵と熱量で道なき道を切り拓く感じがして、作品作りと似ていました。全体に小粒ではありましたが、こんな切り取り方があったか、と、新鮮な気持ちで世界を捉え直すことができる作品を上位に選びました。
そもそも映像を一生懸命作った人々を讃えよう!という趣旨で始まった部門だと思うのですが、やっぱり「頑張るだけ」というのはこの賞の評価の対象ではないのだな、と講評会で強く再認識しました。一生懸命誰もみたことがないものを作る。その頑張りどころを知ってる。センスなんて当たり前に持ってる。磨いてる。撮影知識なんて言わずもがな。そのプライドをかけて作る。だってプロフェッショナルですから。
こんなに熱を込めて作られたものたちなのに、短い寿命が宿命のような広告作品。僕が所属している会社の根幹となるイメージを作られた石岡瑛子さんや小池一子さんたちの広告は表現の耐性を考えると、美術と言うことが過言とならないと思う。そして彼女たちはきっと広告とも美術とも考えてなかったのか、広告を超えたものを作ることが、目的をも飲み込んだ、自分の活動となることだと知っていたのか。
ACCの活動が、業界関係者向けに注目されるだけでなく、用途のある美、芸術(現代版情報民藝)の最新の最高の評価が見られる場として、広く認知されて行くことが必要だと感じました。
柳沢審査委員長に招聘されフィルムクラフト部門の審査に参加しましたが、自分は広告映像においてはちょっと門外漢だなと思っていました。しかし、本部門の作品は、本来自分たちが制作するアニメや映画のデザイン的視点と重なる部分が多く、自分としても広告映像を映像表現のフラッグシップとして再認識する機会となりました。
審査会では厳しい意見も飛び交い、それに頷く場面もありましたが、自分が推したい映像表現を携えた作品も多い中で、様々な視点をもつ各審査委員との意見の食い違いは少なく感じ、議論を通じて建設的に絞り込まれていったのが印象的でした。
私は脚本家ですが、特にテレビドラマは広告料によって作られているため、CMは切っても切り離せぬ関係にあります。視聴者はCMに入るとチャンネルを変えたり、不快だとテレビを消してしまい、ドラマにとっては大変な痛手になるので、私の審査基準は「ドラマの途中に流れても見続けられるか?」と定めました。
入賞作品を選ぶ際、特に悩むことはありませんでしたが、気になったのは上位作品がほぼ全て大企業のCMだったことです。かけられた広告費が、そのまま順位に反映されているように感じました。
今後、広告費は減少の一途を辿ると予想されます。苦しい世界にはなりますが、物語とアイデアで大予算の広告を凌駕するようなものが生まれることを望みます。同じく予算が減り続けるテレビドラマの脚本家として、自戒をこめて。
ACCフィルムクラフト部門の審査は今回が初めてでした。
フィルムクラフトとゆう部門がどの様な基準で評価をしていいのか分からない状態で、やれるのかな?と不安を抱えての参加でしたが、
柳沢審査委員長の『今回の審査メンバーが好きだと思った作品が受賞に値する。とゆう基準でやりたい』とゆう言葉を事前のミーティングで聞き、おかげさまで、ずいぶん気楽に審査に参加できたんじゃないかと思っています。
審査の結果を経て受賞作品を見渡していると、フィルムクラフトとゆうもののクオリティーを測る物差しの基準は継承された技術でも革新的な技術でもなく、多様な表現手法の中で感覚的にクオリティーを感じるべきものなのだなと思いました。
審査を通して今更ながら再発見した日々でした。
企画でも、撮影でも、ポスプロでも、やりすぎてバランスが狂ったものが好きです。僕が思う広告の面白さは、その短さゆえに1カットにかけられる過剰な集中力が生む歪さです。斬新な手法でなくとも、過剰なまでに普通という場合もあるので油断できません。映像には人の思考が反映されます。人の生き方そのものが重要な隠し味なのです。過剰な人=変人が作る、一見普通の作品が一番好みだったりもします。会議では企画はいかにもバランス良く進めていただいても大丈夫。スタッフに変人がいればどこかは歪になります。どれだけ変人を集められるか。すべてはそこにかかっています。
どの作品に対しても、またそのプロジェクトに携わった制作関係者の皆さんに対し、リスペクトの念を持って見させていただきました。何かを産み出すことというのは、とてつもないエネルギー消費だと思ってます。受賞された方/チームの皆様おめでとうございます。
ただ、今回の審査会、とても辛口な意見が飛び交ったと記憶してます。恐れながら自分も辛口な発言をしたことを自白します。
戦略を研ぎ澄ませ、ロジックを整理し、そして周到なアイデアを開発する。そんなフローを辿った表現物だとしても、何かを伝える/届ける時に大事なのは、もしかしたらそんなフローをぶち壊した熱量、或いは作品に垣間見る表現者の明確な意思みたいなものだと思います。
クラフト部門に於いては、なんかちょっと理解できないけどこれすげーとか、うわこれやべーーとか、脳の言語化力が乏しくなっちゃうくらいの刺激、直感で反応しちゃうような作品がもっともっと見れると良いなと思いました。
最終審査会を欠席せざるを得なかったため、議論を経過してない私の感想です。
私が好きだなと思ったものはあまり残せなかったです(欠席したせいだ!ごめんなさい!)
例えば、M-1の動画はクラフトとして相当な圧力があると思ってる。
あの素材数を管理して、高揚感を作る技には、撮影賞と編集賞をあげるべきだと主張するつもりでした。
あとは、メリットのアニメーションが入ってなくてショック!最高なのに。
「スマイルあげない」もちゃんと流行った楽曲という点で、クールなハイクオリティなものを高評価にするばかりじゃなくてカッコつけずに、フィルムクラフトの一部門として評価しても問題ないと思うんだけどな。
天然水はゴールドでもいいと思う。仕事が細やかで大好きだし、単純にキャストの新たな面が光ってるから。
ああ、議論したかった!悔しい!
あとは、MVを応募していいことを、どんどん認知増やしていくべきだと思った。ACCフィルムクラフトの毛色が変わっていくだろう。
この日に集まった審査委員の方々と、また集まりたいと思うほど貴重な時間でした。
それぞれの意見が飛び交いつつ、満場一致で決まっていったゴールドの四作品は本当にどれも素晴らしかったです。
想像を超えるビジュアルを作り込む方法はそう簡単に辿り着けるものではないと思います。
夢を現実にする創造力。細部への異常なこだわり。上質なつくり手の姿勢をたくさん浴びて、
自分自身もより姿勢良く一人のつくり手として挑んでいきたいと改めて思いました。
ありがとうございました。
審査の中で最も議論に時間を使ったのは、グランプリの有無、ゴールドの選定でした。なかなか集まることがない審査委員のそれぞれの視点を聞くことができて非常に面白かった。
受賞した作品は、プロフェッショナルが、限られた制作期間や諸条件の中で、制作費以上のパフォーマンスを発揮していることが伝わり、制作現場でいくつものハードルを乗り越えて完成したものだったと思う。審査後、この経験を今後の仕事に繋げないといけないと責任も感じた。
今年の審査でまず嬉しかったのは、
Aカテゴリーのアンダー29に関して、
ファイナリストまでに入賞していない作品も対象にしたいという提案が
受け入れられまして、実際に何人か入賞したことでした。
今年の審査でいちばん困ったのはグランプリ決定でした。
ゴールド以上に選出された3本がまるで傾向が違う3本で、
しかもそれぞれものすご〜く面白い。
放送局の審査委員も漫画家の審査委員もお笑い芸人の審査委員も
ラジオCMを作っている審査委員も、番組の脚本を書いている審査委員も
全員がかなり悩みました。選べない、落とせない、ううう..。
いつも審査の遅い私が「あと5分で投票してくださ〜い」なんて
声をかけたくらいです。
Bカテゴリーで面白かったのは、
一次審査の全作品を見ても似ている作品がなかったことです。
いまある問題を解決するためにどんなメディアを使うか、
というところからはじまっているので実に多彩でした。
評価の基準をどこに置けばいいのかでいつも悩みます。
今年は人を動かした力が大きかったということで
日本マクドナルドが評価されました。
しかし、面白くてためになって楽しい審査会でした。
「全員が言いたいことを残さず言って後悔しない審査会にしよう」
という目標でスタートしたのですが、
自分も言うかわりに人の意見も聞きますので愛着を持つ作品が増えまして、
選べない落とせないは審査が始まった最初からの傾向でした。
今年の受賞作品には、そして受賞しなかった作品にも
審査委員全員の愛情がたっぷり注がれています。
ご応募ありがとうございました。
モノを作る、表現するプロの方々の中に、初めて参加して、どんな審査会なのだろうと不安と緊張でいっぱいでしたが、優しい雰囲気の審査会で…楽しく参加が出来ました。
審査にのぼる作品は、日ごろ、自局で耳にするCMとは違い、地域色のあるCMや面白いCM、音、音楽を効果的に使ったものなど、バラエティに富んでいてとても新鮮でした。
ラジオは、音声メディアだから表現には限界があると知らず知らずに表現の幅を狭めていましたが、今回参加して、ラジオCMには、まだまだ可能性がある、ラジオだから伝えられる、心を動かすことがあると感じました。とてもいい経験、勉強になりました。
耳福の1日でした。それぞれの作品本篇を聞くのももちろんですが、各作品について審査委員の方々のコメントを聞くことで新しい視点を手にいれることができる幸せ。まさに役得。悩ましくも楽しい審査会、ありがとうございました。ラジオ・・・実感として制作する機会が減っているし、年々応募の減少がつづく部門ではありますが、この媒体だからこそできる挑戦はまだまだそこ知れず豊かだと実感。ラジオという媒体を離れたBカテ、入賞として残らなかった作品にも個性的で面白い取り組みが多く、もっと入賞作を増やせたら良いのにと思いました。
2回目の審査委員をさせていただきました。
ラジオ好きのリスナーとして、ラジオから流れてきた時クスッとしたり、ジーンとしたり、心を動かされた作品を選びました。前回、この部門の審査終わりに自分でも練習でラジオCMの台本を書いてみて、20秒で伝えるということの難しさ、リスナーの日常に、ふと入り込む作品作りの大変さと面白さを実感し、ラジオCMを作られた方々への深いリスペクトと共に、ラジオだからできる、聴いてる方の近くに行けるラジオCMが更に好きになりました。
この、審査委員の先輩方の後輩に対するリスペクトとまだ作品を作りたいという気持ちも大好きです!
自分も1人のプランナーとして、
「嫉妬したか」「悔しくなったか」を基準に審査させて頂きました。
結果的には、ほとんどの作品に嫉妬していました。
作り手の皆さまの熱量にぶん殴られたような気分です。
ひとつ、自分も企画する側の立場として
審査会の場で思ったのですが、
やはり「相当突き抜けていないと」「よっぽど目立たないと」
なかなかブロンズ以上の入賞は厳しいようです。
新しいか、面白いか、解決しているか、は勿論のこと、
異常値はあるか、極端か、振り切ってるか、ということも、
自分もこれから再度強く意識しようと思いました。
ラジオCMはこんなにも自由で楽しい場所なのに、
プランナーが置きにいってしまうともったいないですね。
自分も来年に向けて、
1本でも多くACCに出品できるように、
日々転がり続けていきたいと思います。
審査は審査委員の構成で雰囲気も結果も違ってくるものです。今回の審査委員の皆さんは互いに主張するところはして、話し合おうところは話し合い、無理なゴリ押しなどもなくひたすらフェアーに審査できていたと思います。専門すぎず、専門でなすぎもせず、とてもいいバランスだったのでは。過去にこういうものがあった、という視点については厳しすぎない部分もあったと思いますが、一周して過去の発想も新しいと見える部分もあったという理解もできるということかもしれません。
審査会を例えるならば、審査員全員が同じ船に乗って、ちょっとした冒険をしているような気持ちです。ただこの船は、みんながひとつの舵に手を添えていて、絶妙なバランスで進んでいます。
最初は自分の意見を言うのも恐る恐るなんです。でも、議論を重ねるにつれみんなの熱が高まり、集中力が増し、どんな些細な疑問も違和感もお互い掬い取って結果に辿り着こう、そんな風にモチベーションが上がっていきます。悩むと遠慮なく態度に出して、身を乗り出し話し合います。今回も、みんなウンウン言ってました。
冒険を終えるとみんなヘトヘトですが、家路につく頃には清々しい気分です。2024審査会の後も、雨上がりの空気が気持ち良い夜でした。
審査会、事務局のご厚意でのお疲れ様乾杯、そして町中華での打ち上げまで、審査委員長がお作りになった自由な雰囲気の中、みんなが素直な思いを発言し貴重な話が飛び交った気持ちの良い審査会でした。審査委員長とは少し前のとある食事会〜ランダムハウスでのサシ飲みと連続してご一緒させていただき古川副審査委員長に「中山さんってこんな感じなんですねー」と感動してお話ししたところ「そうやねん、ピュア!」と一言。「まさに!」と思いつつ、レジェンドでありながらいまだ純粋にラジオCMを作り続けるその姿や、審査委員の方々がまっすぐにラジオCMについて話す姿、そして制作者の個性がまっすぐに反映されたラジオCMの数々。。ラジオは個人のピュアな想いや情熱をぶつけやすいメディアなのかも。と感じて、とてもポジティブな気持ちになれた審査会でした。
何を賞として選んだか。ACCには、その選択から伝わる切実なメッセージがあってほしいと願った。そんな気持ちをふまえて、高橋酒造の「生きてるだけで冒険だ」を推した。全国にある無数の会社それぞれに、その地域社会に及ぼすポジティブな力がある。広告主、広告制作者、地域の人が、垣根をこえて、そのポジティブな力を広め、わかちあうことができる。その役目をみんな持ってるはずだし、その役目を果たすことは喜びのはずだ。そんなメッセージが少しでも広く届いて欲しいと願う。そして、各地域の会社の一つひとつ、働く一人ひとりが、また前を向いて生きていこうと思えたら最高だ。
今年はあらためて、ラジオだからこその魅力にあふれた作品にたくさん出会えました。“なんだか最近SNSのキラキラした世界と自分を比べてげんなり、トゲトゲした誹謗中傷にも目を背けたい”。そんな気分でラジオに耳を傾けるとき、思わず一人で爆笑してしまう作品や、思わず密談に加わっているような気分になってワクワクできる作品に特に心がひきつけられました。本音や弱音にも共感できたり、クスっと笑えてしてしまうラジオCMって、今の時代気分にすごくあってるんだとおもいます。
今年の審査は、去年に比べて格段におもしろかった。(一年前の講評で僕が書いたからではなかろうが)表現のバリエーション、つまり、あの手この手のアイデアが見られたからだ。なかなか自由な表現ができにくくなっている昨今、ラジオこそがその突破口であってほしいと願っているが、パーソナルなメディアですらなかなかそうはいかないようだ。それでも若者諸君、どうかラジオに興味を持ってほしい。なんといっても作り易さにおいては、いちばんのメディアだから。そして知恵を絞り、これがチャンスとばかりに新しい手口を探り出してほしいのだ。あの手この手で心を揺さぶられるのが、このおじさんと(きっと世間のみんなも)たまらなく好きだから。
すべての審査委員が「三つ巴であった」とコメントするであろう三つ巴であった。軽やかな笑いvs王道vs赤裸々。グランプリを争ったまるで異なる3つの作品は、このまま朝まで議論しても決まらないのでは? という混沌。審査委員たちはみなうれしそうに唸り声をあげ続けた。選べない…ほどに拮抗しているものがたくさんあることが幸せだったのだ。中山さんの「言いたいことを言える雰囲気」づくりのおかげで、皆がそれぞれの視座で、思うところを遠慮なしに声にした。審査委員のコメントひとつで順位が大きく入れ替わるなどスリリングな展開もあり、しかし一言で言うのならば、バラエティ豊かで喜ばしい三つ巴であった。
昨年に引き続き審査委員を務めさせていただきました。今年の入賞作品は聞き入ってしまうものあり、書き手として嫉妬してしまうものあり。本当に楽しい審査でした。グランプリ候補は、まったく傾向の違う良質なラジオCM3本。審査委員みんなで悩んだ末、グランプリに選ばれた「タマノイ酢」のラジオCMは、面白さはもちろん、言葉選び、会話のテンポなど演出の細かな点でも優れた作品。(見習いたい…)またBカテの「日本マクドナルド」は、音声コンテンツには人の行動を変える力があることを証明した作品でもありました。(こちらも見習いたい…)入賞作品を聴いて「ラジオ・オーディオ広告は面白い!やってみたい!」と思っていただけたら嬉しいです。
マーケティング・エフェクティブネス部門の審査は、本当に面白く難しい。最終審査のプレゼンでは、プロジェクトの裏話や担当者の努力を聞けるので、さらに悩ましく審査委員の議論も白熱します。今年はいろんな企業の審査委員がいるこの賞の良さが活かされ、クリエイティブ視点とビジネス視点での意見をぶつけ合うことが出来ました。審査に関しては、基本の戦略・成果・クリエイティビティ加え、昨年大事にしていた「未来志向」さらに今年は「世の中に良い影響を与えたか」も大事にしたいと審査委員の方にお伝えし議論しました。 最終審査に残った作品は目的や規模感もさまざまですが、どの作品もマーケティング努力でしっかりリザルトを出されており、心打たれるものばかりでした。そんな中、グランプリの「丸亀シェイクうどん 市場創造」は画期的なアイデアでビジネス課題を解決するだけでなく、まさに市場を創造されていました。多くのお客さまにうどんを美味しく食べてもらいたいという努力は、大きなリザルトに繋がり、さらに海外にまで販路を広げて行かれる熱意は心に残りました。 審査を通じて、多くの企業の努力や拘り、素晴らしい想いに触れることが出来たことに心より感謝いたします。
審査委員3年目。今年もユニークな議論に参加させていただきありがとうございました。
結果論ですが、グランプリは3年連続社長や案件のリーダーが自らプレゼンされた案件だったのが印象的です。もちろんアイデアやテクニックも大事なのですが、リーダーの本気と熱量がマーケティングにおいて最も重要なのかもしれないと感じました。エージェンシーの人間は、良くも悪くも“外”の人間なので、事業会社の方々の熱量に応えられるように、日々自分の能力を磨いていきたいと思っています。
今回初めてACCマーケティング・エフェクティブネス部門の審査をさせていただきました。マーケティングとクリエイティブで専門領域が異なり、クライアントサイドとエージェンシーサイドと立場も異なる多様な審査委員メンバーで構成され、非常に質の高い審査会となりました。
審査の結果、広告的な新しいアイデアではなく、市場創造をし、社会により良い影響を生み出すソリューションが高く評価され、丸亀製麺「シェイクうどん」がグランプリを受賞。最終審査会で、丸亀製麺の山口社長自らが熱量高くプレゼンいただいたのが非常に印象に残っています。
審査委員も二年目を迎えました。昨年とは応募作品のラインナップも変わり、多様性のある作品群に対し、如何にして審査を進めていくのかの基準が非常に重要であった様に感じます。また、マーケティングやクリエイティブの可能性の拡がりを感じさせてくれる作品が多く、社会をより良くする為の手段として、これからも進化していくでしょう。昨年に引き続き、手掛けている人の熱量が成功の大きなトリガーになっていると思いますし、その中でその時々の世の中や社会の「風」を捉えている作品が、結果多くの生活者に支持をされている事を実感致しました。
「今年のME部門の応募作は実力が拮抗していて選ぶのが難しい」と審査会での会話です。その中で、「マーケテイング・エフェクティブネス」の名の通り、効果、リザルトがあるのかどうか?そのリザルトは未来志向がありかつ、世の中に良い影響を与えたのかどうか?を重視しました。効果も自社企業の売り上げや組織のKPI達成に留まらず、社会への影響度を見ています。グランプリの「丸亀シェイクうどん」をはじめ、ゴールドの「スマイルあげない」「AirPay」「chokoZAP」は人々の価値観、行動、習慣を一歩良い方向に変えています。例えば持ち帰りの際にくっついてしまう麺をどうほぐすかは、小売業にとって長年の課題でした。それを振るという行動で楽しく解決する。食べる時の気分もあがる。企業の売り上げも上がる。好循環が大きなリザルトを出しています。同様に「スマイルあげない」では、敢えてネガワードを発信することで世の中に一石を投じ、一方でアルバイトの応募が増えるという効果を出しました。「AirPay」「chokoZAP」がもたらした人々の行動変容は誰もが認めるところだと思います。受賞者の皆さん、おめでとうございます。そして社会への好影響をありがとうございます。
ちょっと偉そうですが、、、新しい文化をつくりたい。と思って、いつも仕事をしています。世の中がいい方向に進んでいったら、と考えるだけでワクワクします。でも、妄想を実現させるのは、難しいし骨が折れます。なぜなら、単発的ではなく、中期的な試行錯誤や折れない心はもちろん、組織を越えていろんな人を巻き込む力が必要だから。
今回受賞したものは、新しい文化を生み出そうという気概に溢れていました。結果だけ見るとスマートに感じるものですが、プレゼンの場で裏話を聞くと、大変だったなと思うと同時に、あー、こういうリーダーがいたからこそ、難問を乗り越えることができたんだと。いい刺激をもらいました。ありがとうございました!
「そこにクリエイティビティはあるのか?」
ACC賞において戦略や成果を加味して審査を行う本部門は異質と言える。しかし、だからこそ、ここでしか評価できないクリエイティビティがあるはずであると、審査委員一同対話と議論を重ねた。この問いは、時に2次審査のプレゼンテーションに委ねられることもある。実際に当事者の声を聞くと、どこにどのような創造性が宿ったのか、直ぐに実感できるからだ。受賞した施策はどれもそうだった。
今年はコロナの落ち着きも経て、新たな事業への挑戦や街づくりへの取組等骨太な作品が多く、
例年以上に悩みに悩んだ審査でした。ME部門最終審査は“某コントコンテスト”の翌週に行われ
「これはもう“審査委員の好み”でしかないのではないか、、」とか思いながら。
グランプリの「丸亀シェイクうどん」は“持ち帰りうどんの負”をシェイクする行為とともに軽やかに解決してて、パッケージ・メディア/世代別の丁寧なコミュニケーション・社長の熱い想いのこもったプレゼン等全てにおいてクオリティが高かったと感じました。おめでとうございます。
「今までなかったもの」が世界を変える。当たり前のような気付きを、強く感した審査でした。うどんを振るなんてこと、どうして思いつけたのでしょう。「シェイクうどん」は、まったく新しいユーザーを獲得し、うどんの楽しみ方を変えました。最後までグランプリを争った「chocoZAP」もそう。着替えずちょっとだけ運動するという新しい習慣は、たくさんの人を健康へ向かわせることに成功しました。今後「クリエイティビティ」は、ますます商品や事業領域にフィールドを広げていくといわれています。今年のグランプリは、その見本のようなプロジェクトなんじゃないかと思いました。マーケティングにおいて、クリエイティビティは世界をよくする原動力になれる。そんなことを思えた審査になりました。受賞された皆さま、本当におめでとうございます!
ME部門の審査を通して改めてマーケティングの本質を考えさせられるきっかけになりました。特に今回受賞された作品は企画の既視感はあったとしても人間の変わらない本質を捉えていること、企画サイドが飽きてしまうジレンマを超えて長年やり続けて価値を蓄積していくことを愚直に進め、明示してくれていたと思います。この度受賞されました企業の皆様本当におめでとうございます。
その施策は、新しくユニークか?PR効果だけでなく、ブランドのパーセプションや人々の行動まで変えられたのか?ビジネスとしての成果に留まらない、アワードとして光を当てるべき点はあるのか?…などなど、事業主とエージェンシーがともに審査するからこその論点に、今回も多くの気づきをいただきました。骨太な事業戦略とリザルトが取り沙汰されるME部門は、エージェンシーの人間としては挑戦ハードルが高く感じてしまう面はありますが、企業の意志と戦略とクリエイティブが見事に一体化して生み出された受賞作品の「世の中へのよい影響」の力強さやダイナミズムを目の当たりにするにつけ、私自身もぜひこの部門に挑戦したい!という思いを強くしています。
デジタルもソーシャルも最早インフラとなってプロモーションとアクティベーションが動いている。カテゴリーが融け合い、何をどのカテゴリーで評価すべきかを再度考え直す時期がきていることを感じる審査でした。ただ、カテゴリーがなんであろうと強い仕事には一貫して「そのブランドがその施策をする筋の通った意義」があり、議論の時間の多くがブランドと施策の関連性について費やされました。また、何度も言及されたのは「枯れたようにみえる技術でも、視点を変えて新しい価値を生み出している」「少しでも新しい発見がある」「ユーザーと新しい関係性を結んでいる」といった「新しさ」について。新しさといっても解釈は一様ではありません。ただ、ある点においては新しくて、その新しさとブランドの相性が適切であるといった見られ方は共通でなされていました。“ブランデッド”・コミュニケーション部門であることを痛感させられました。
Aカテゴリー「進撃の巨人」は、メタバースという技術が新しさで見られなくなった今、世界各地にファンがいる人気作品の終了後のアクションとしてバーチャルなアフターパーティーという心を動かすテーマ設定と、張り紙までこだわる細かな体験設計で生きた空間を構築した点が評価されました。
Bカテゴリー「バーガーキングを増やそう」は、ファンを事業拡大のためのパートナーに変えて動かしたこと。小さなところから大きな成果を出したアイデア一発勝負のところ。これまでのブランドの活動を踏まえての設計も含めて評価されました。
Cカテゴリー「冷凍餃子フライパンチャレンジ」は、ソーシャル起点での動きが、商品に向き合う企業の活動そのものと重なり、大きな影響を生み出したことが評価されました。
賞は何のために存在しているのか。真似ができる学びがあるか。いやいや、真似できない打ちのめされ感も大事。そんな議論もなされました。効果があったことは大前提として。
二年を通して私は、継続して評価する視点があることで、なにが新しいかを発見することができる構造にこそ賞の意味があるんだなと思い至りました。ただ斬新なだけでなく、ブランドとの掛け算で新しい地平を切り開いている。結果、この仕事の可能性が増えていく。次の誰かの仕事のための糧になっていれば幸いです。
とても熱い審査会でした。議論が白熱した結果ほど、その議論の前提を知らないと「なぜこれがこの賞なのか」「なぜこれが入ってないのか」と思う人もいるかもしれません。私も審査委員を担当する前は、ずっと「なんで!」と思っていましたが、この議論を経たらたしかにこの結果になるなと納得しています。なので、審査委員であるからには応募者の方に「なぜこうなったのか」を説明する義務があると強く思います。説明をがんばりますし、道で出くわしたら「なんで」と、聞いていただければと思います。
最近、たくさんの人が知恵を絞って作っている一方で、広告の邪魔者感も加速しているように思います。なんとかしてACCで「希望」を見つけることが大事だと思っています。
「審査ではなく、応援する」
そんな想いで今回、臨みました。審査委員と聞くと偉そうで、自分はまだまだ誰かを評価するような立場じゃないと恐縮してしまうので、いち広告クリエイターとして「こんな仕事が増えたらいいな」「こういう仕事が好きだ」という気持ちで審査会では応援をしました。どの仕事も関係者が全力で生み出したもので、そこに優劣はありません。でも、熱い議論を通してグランプリやゴールドに選ばれた業務は、次の一年、我々が目指すべきひとつの北極星であり、業界に対するクリエイティブディレクションなのかもしれないとも思いました。最後になりますが、自分を含め、来年に向けて再び邁進するすべての人にエールを贈ります。
審査会の議論は、想像以上の熱量と物量で、翌日に発熱するほどでした。たくさんの応募作の中でも、存在感を放ち、心を掴まれた作品には、突き抜けた「善意」のようなものを感じました。論理や効率だけではたどり着けない「サービス精神」とも、言い換えられるかもしれません。ブランドの価値を高めるため、生活者を喜ばせるため、社会を前進させるため、未来を少しでもよくするため、勇気を出して、及第点からもう一歩踏み込む。そういった作り手の勇敢な善意が、アイデアや表現を飛躍させ、人の心のひだを揺らす原動力になっている気がします。特に「冷凍餃子フライパンチャレンジ」の誠実さを突き詰めた対応には、多くの学びがありました。
情報過多な時代と呼ばれるようになって久しく、多くのブランドが話題化・拡散の手法を巧みに使いこなせるようになってきました。しかしその中で、目立つが故に余計な情報になってしまっているものも増えているのも事実。今年の審査では、「存在意義のある仕事」を特に評価したいと考えました。慎重な議論を経て選ばれたグランプリ作品は、ファンのために生まれ、ファンと共に成功を掴み取った、まさに「存在してよかった」と感じられる施策です。人々の目や心に届き、生活に関わるものとして、ブランデッド・コミュニケーションはどうあるべきか。これかも、時代の変遷と共に考え続けたいと思います。
ある審査委員の方が言っていました。「この部門は、あまりにも審査が難しい。CMとMVとキャンペーンと屋外広告とショート動画とお店と街づくりとサービスを横並びで評価するのは、無理なのでは?」と。まさに仰る通りだし、その問いにこそ、この部門の最大の存在価値が潜んでいるように思います。評価軸がわかりやすく同じフォーマットのものが並べば、審査の議論ポイントは明確になる。しかし、その分だけ、異質なものが入り込みづらくなる。今、広告は、異質さにこそ最も可能性があり、それを見出せるかどうかこそ、次の"広告"が本当に面白くなるかの分岐点になると、強く感じました。
審査委員は責任重大です。これからもこの部門は、最も審査が難しく、最もややこしい場所であって欲しいなと願います。
畏れ多くも昨年に続いて人生2度目のACC審査をさせていただきました。昨年と比べ、1年というある意味短い期間の中でも大きな議論の角度と作品幅の変化を感じ、改めて広告は「生モノ」だと感じました。その中でも個人的に地続きかつ一層強く感じたのは、「どんな倫理観を模索するのか」というテーマでした。審査委員の方々のクラフトに対しての信念はそれぞれ異なりつつも美しく、同じく評価されていた作品たちにもそれぞれの信じる道と姿勢を強く感じました。あらゆる戦略や技巧が広がり日々加速度的にアップデートされていく中、信じられることは自分の中の正義の置き所を考え磨き続ける姿勢なのだと思います。
初めて、この部門の審査に参加しました。熱量が、とっても高い審査委員と議論する、とても熱い時間でした。参加して思ったのは、こちらの部門は、カオスな部門であることが魅力なのは間違いないのですが、そのカオスに対応して、ルールを少し変えていったほうが、審査するほうも、結果を受け取るほうも腑に落ちやすいのでは、と思いました。いちばん感じたのは「広告が出自」であるものと「事業が出自」であるものを、一緒の審査基準で測るのは、流石に無理があるのでは、と。もちろん、ブランディングという言葉を拡大解釈していけば、一緒に語ることは可能なのですが、そもそも競技が違うので、おそらくカテゴリーを分けて審査したほうが、もっと気持ちよく審査できるのではと。事例も複雑化している今だからこそ、シンプルに見える工夫がアワード自体にも必要なのでは、と、そんなことを思いました。
BC部門の審査は「世界一手強い審査」だと思う。専門分野も年齢も異なる、しかも現役バリバリの企画者たちが忌憚のない意見を戦わせる二日間。終わるたびに、広告への新しい視点・価値観が見えてくる。今年の傾向としては「ブランドにとっての正しい手法だったか?」が問われていた気がする。広告が新しさやおもしろさの競争から、ブランド構築の技術の戦いに変わってきている。一方で、Aカテゴリーをどうすべきか?などの議論があったように、BC部門自体のあり方を考え直すタイミングがやってきたのかもしれない。BC部門は発足時は「その他全般」を評価する部門だったが、マスという本流自体が変わってしまった。BC部門はもっとコミュニケーションのど真ん中になっていることを意識して自ら変革すべきタイミングかもしれない。
広告の表現を志す人にとって、現在が時代の激動の変革期にあることは議論の余地はないだろう。掌の上で情報を瞬時に流し観るスピードと比例して、熱狂と忘却も一瞬の出来事になった。約束されたGRP上に乗せる表現を発想するだけでは生き残れない。リアルタイムに数値で可視化されるSNSでの反応を希求して、時勢に合った投稿の秘訣を因数分解して方法論化する傾向はより加速化した。緩やかに心理を変容させるブランドという無形の概念を議論する以上に、短期のKPIを意識した直接話法で切実に行動を喚起する即戦力の企画が重要視される。メディアと方法論が変わるのと同じ速度で、能力と技術も時代遅れになっていく。境界線を担うこの部門がどう変わるかが、賞が時代の焦点と合っているのかの試金石となる。
毎年みなさんがおっしゃることですが「こんなに情熱的に、一つ一つの応募を精査するのか」というフローで進んでいます。審査委員の方にあったら、是非ともどんな議論だったか?なにか面白い発見はあったか?聞いてみていただければと思います。たぶん、嬉しそうに語り出すと思います。自分から話し始めるにはなかなかディープで難しいのです。
ブランデッド・コミュニケーション部門の審査委員として招待していただき、審査会においては非常に密度の濃い素晴らしい経験ができたことを心から感謝します。今まで様々なグローバルアワードの審査をする機会がありましたが、今回は「これは日本を代表すべきユニークな作品か?」という点を一番に考えて審査させていただきました。話し合いで最終的に絞っていくプロセスは容易ではなく、私自身多くの学びがありました。他の方の意見を聞く事で理解が深まる場面も多々ありました。いい意味でここまでディープでインテンスな審査会は今までの経験でもトップレベルだと思います。今の日本を代表する受賞者の皆さん、本当におめでとうございます。
今年の審査会のハイライトは、やはりグランプリ決めにあったと思います。語りたいだけ語れる、主張したいだけ主張できる、“フリーダム討論場”を作ってくれた尾上審査委員長の下、いい意味で揉めたし、ぶつけ合ったし、最後は脳みその体力も尽きるくらいでした。正直、「満場一致」でのグランプリは3カテゴリーともにありませんでした。それだけブランデッド・コミュニケーション部門は、常に審査委員たちに「迷い」をくれる部門。出自の異なる審査委員たちが集まった部門だからこそ、誰の視点に立つか?どの流派を信じるか?何を新しさと捉えるのか?によって議論の視点が無数にある。それがこの部門の難しさであり面白さ。そんな超濃縮された二日間に渡る審査で選ばれた受賞作品には最大の賛辞を贈りたいと思います。
普段ラジオ番組の制作をしている私にとって、広告の審査(しかもラジオ部門でない)というのは新鮮な経験でした。特にブランデッド・コミュニケーション部門は、媒体や手法、スタイルも様々でしたし、一概に比較できる部門でもないと思っているので。今回受賞された作品はもちろん、ファイナリストに選ばれた作品、惜しくも選ばれなかった作品にも、素敵な作品が多くありました。個人的には、AI技術の発達のすさまじいこの時代だからこそ、“現実世界で体験できる”コンテンツに非常に魅力を感じました。
近年、スマホの普及に伴い嫌遠されがちな「広告」が、アイデアやクリエイティビティでここまで魅力あるものになる、新たな発見になりました。
ACCブランデッドコミュニケーション部門審査委員をさせていただくようになってから、今年で5年目。本当にいい勉強をさせてもらった。
同時に、新しい潮流が激しく生まれている景色を見つめる中で、俯瞰して審査委員をしている自分にも、少しだけ物足りなさを感じている。
この波に、もっと思いっきりダイブした方が良いのではないか。自分の心の奥にある何かがそう囁いている。
今年をもって審査委員の席に座るのは最後にしようと思っている。また別の場所で、別の形で出会えるだろう。またね。
「広告賞を受賞する仕事は、世の中にちゃんと届いているのか。内輪だけで褒め合ってないか。」社会人思春期時代の自分はACCの結果を見て、捻くれながらそんなことを思っていました。初めて審査に参加させて頂いて、そこで議論されているものは、僕の愚かな想像よりも遥かに志の高いものでした。「ACCとして今年この企画に光を当てるべきだ!」「広告業界の発展のために、このアイデアが受賞すべきだ!」そこに遠慮や忖度は無く、みんなが良いアイデアを見つけだそうと審査に臨んでいました。就活生の時、図書館でACC年鑑を見て、この業界に憧れました。今もこれからも広告業界がそうあって欲しいと願います!僕ももっと頑張ります!!
広告のあり方そのものが問い直されている、と感じた。消費者はもはやただの「商品を購入する人」や「ブランドのファン」ではなく、時には不動産仲介業者として、また時には研究者として、ブランドや商品の価値を共に高めていくパートナーである、そんな「消費者観」に基づいた作品が審査会場で強い存在感を発揮した。また、一方的な情報発信にとどまるのではなく、思わず足を運びたくなる没入感のある空間体験を伴ったイマーシブ広告も印象的だった。BC部門は審査が難しい部門である。広告的なものも、広告的でないものも、一本の線を引いて評価しないといけない。だからこそ、従来の広告の枠組みを超えて、触れた前と後で世界の見え方が変わる、人の心を動かす作品が高く評価された。
今年も100を超えるPRの仕事を応募いただきました。多様なバックグラウンドの審査委員一同、それぞれの視点で厳正に審査させていただきました。気持ちのこもった熱いエントリーシートからは、昨年同様、コミュニケーションを届ける相手の視点に寄り添っていく姿勢や、社会課題の解決のために少しでも変化を起こしたいという意気込みが伝わってきました。何より、ACCならではのクリエイティビティの観点で、広告とは立ち位置の違う様々な活動を見せてもらえたのは、進化するPRの今後の方向性をとらえる上でとても意味のある機会でした。改めて、素晴らしいPRの仕事に関わられた皆さまに敬意と感謝をお伝えしたいと思います。
今年グランプリに選ばれた「座ってイイッスPROJECT」は14 人の審査委員のうち、11人が最終審査でグランプリに推した仕事です。世の中の現状を理解した上で、広く社会にメッセージを投げかけていくPRの手法が、「働く人」と、「サービスを受ける生活者」の両方の立場に思いをめぐらせ、“当たり前”を疑う形で展開され、レジスタッフ向けの椅子の開発という具体的なアクションが生まれました。現在、多くのサービスの現場で導入されていることも行動変容を示す成果として高い評価につながりました。
あらゆるコト、モノの合意形成を生業にしてきた審査委員達と、オープンマインドで議論をするこができたことはエキサイティングな時間だった。中には自分自身では気づけなかった目から鱗の見解があった。そういった、PRの定義を拡張するようなプロジェクトに出会えたこと、評価されたことはPR業界の更なる発展とPRパーソンの社会的地位向上に繋がっていると確信した。個人的には、PRパーソンがエレキソルトのようなテクノロジーさえも自身のフィールドと捉えるべきという見解は新たな発見となった。これからも多様な視点でPRパーソンがチャレンジすることを心から応援し、期待したい。
時代の変化を捉え見事に新しい進化、変化が起きていた2024年。アイディア、クリエイティビティの発揮、PRなのか?を議論の中心に、生活や社会認識そのものを良い方に変えていく力のある作品との出会いがありました。まだ変化は起きてなくとも、その対話の力で何かを変えられるか?という「希望」を感じるものが入賞する結果に。「社会課題」という言葉がありますが、そのかたいイメージとは違い、助かる!プロダクトから、クスっと笑えるイベント、自分のバイアスに「ハッ」とさせられる表現まで様々なものが。分断が気になる今だからこそ、一方通行なアピールとは違う、クリエイティブな対話によるPRに何かの希望を持ちたいです。
聞いた瞬間に微笑んでしまう。そんなプロジェクトが、上位にランクインした2024年の審査だった。
「一般社団法人 あすには」は、「佐藤以外の名字の絶滅」というユーモラスな視点で、選択的夫婦別姓について考えるきっかけをつくったし、「グリーン ダ・カ・ラ」は、「こども気温」というかわいらしい社会記号を開発し、こどもの熱中症対策を啓蒙した。
「情報」を設計する力だけでなく、「愛嬌」を設計するスキルが、PRパーソンに求められる時代がいよいよ本格的にやってきた。
間違いなく、またひとつ、新しい時代が幕を開けた。受賞者の皆さま、おめでとうございます。いい仕事をしたい気持ちが高まりました。改めてぼくも、持ち場でがんばります。
昨今、白黒つけるだけでなく境界線、グレーゾーンの立ち位置を鑑みながらプランやPRを考える必要性があると強く感じます。レジは座って対応するものだという固定概念、夫婦別姓など当たり前と思われているもの、無自覚の差別行為マイクロアグレッションなどをPRのチカラで常識を超え、共感を生み、どのように社会を動かしたのか。今回は全体的にPRのチカラで人を巻き込み、共感を生み出している作品が多く感じました。これからのPRは認知の獲得にとどまらず、人の心を動かし、共感を生み、そして行動変容までつなげることを、社会的課題に対してどう訴求できるのかが鍵になると思います。社会課題や地域の課題、パブリックの点では自治体や行政の作品がたくさん出品され、いつかグランプリをとる日がくることを願っています。
「座ってイイッスPROJECT」は世の中の、「これでいいんだっけ」というモヤモヤを見事にとらえて、社会が進むべき方向を、実装力を伴って示した仕事であり、あたらしい「あたりまえ」を世の中に普及・定着させる力強さを持っている。その手があったかというクリエイティブな手口で新しい「あたりまえ」の普及を目指す仕事が上位にいくつかあり、ACCでPRを審査する意味を実感した。
審査委員をお引き受けするのは初めて。ふだんは取材側なのですが、PRとは何かを改めて考える良い機会をいただきました。私の専門分野ではサステナビリティ経営が世界標準となるなか、「ウォッシュ」の懸念も指摘されています。今回も個人的には、本業に則した部分で社会課題と向き合おうとしているか、著名人やアニメ、インフルエンサーの力に頼るだけでなく、自らの力でコミュニケーションしようとしているかを考えながら見させていただきました。いずれもよく練られ、「そうきたか」と思うアイデアにあふれた作品が多く選考は大変でしたが、自身も深く学ばせてもいただきました。ぜひ今後も活動をアップデートし、社会を動かしていっていただければと思います。
PRクリエイティビティが発揮される領域に限りはない!?
今年は、常識のアップデートを推進するしごとが高く評価されたことはもちろん、馴染み深い商品ブランドのマーケティングPRまで幅広いしごとが深く議論されメダルに輝いたのが印象的でした。
「社会」課題の手前にある、「個人」の想いや課題、共感に寄り添い合意形成を築いていく。そんなYOUの視点を色濃く感じました。
そこで仕掛けた種が社会ごととなって大きく育ち、世の中を動かしていく…そんな手触り感とおちゃめさのあるしごとに今後のヒントを得たような気がします。
PRは技のカテゴリーではなく、アイデアの概念なのだと改めて実感させていただきました。
審査を終えて上位3作品はこの一年多くのニュースで取り上げられ、社会の関心を集めたテーマを見事に切り取っていることに気が付かされました。グランプリの「座ってイイッスPROJECT」は店舗での働く方たちへの気遣いであり、今年話題となったカスハラ問題に通じます。またゴールドの「2531佐藤さん問題」シルバー「聞こえてきた声。」は共にジェンダー問題への提言であり、こちらも本年多くの場面で話題となりました。社会の「もやもや」に対して正面から挑むだけではなく、異なる角度からの気付きを投げかけることで、より皆が幸せになれる方向を示していく・・。PRが持つ限りない力を見させもらいました。受賞者の皆さん、おめでとうございます。
ACCにPR部門が設立されて2年目。今年エントリーされたどの仕事も、クリエイティビティ、そして関わった全ての人の熱い想いがギュッと詰まっていて、審査の過程はPRパーソンとして嫉妬の嵐でした。
白でも黒でもなく、YESでもNOでもないグレーゾーンをアイデアの起点にすることで、新しい当たり前を生み出す。
ネガティブを思い切り真正面から受け止めて、新しいポジティブな声を創る。
そんなはっとするような発想とPRのテクニックの組み合わせで生まれたたくさんの素敵な仕事に出会えました。
「新たな当たり前を創り出す」というPRの無限の可能性を審査を通して改めて強く感じ、また改めてPRに魅了された貴重な時間でした。
PRという視座を持つと、社会との関係の作り方に、こんなにいろんな角度、方法があるのかと、今回の審査もとても面白く、ためになりました。アルゴリズムとかターゲティングとか、広告が年々、限られた人に限られた期間しか届かず、話題づくりを頑張っても一部で一瞬でしか盛り上がらない傾向が強まっていく中、中長期の視点を持って人々に気づきと関わりを作っていくPRの技術を、自分自身がもっと身につけたいと、多種多様な応募作品を見ながら強く思いました。
「PRとは?」という問いが何度も投げかけられた審査会。この問いかけが議論を生み出し、さまざまなバックグラウンドを持つ審査委員たちが多角的な視点からPRを見つめ、考える機会となりました。独創的なアイデア、丁寧なリレーション構築、新しく鋭いアプローチ──。これまで何度も議題にあがってきた社会課題に対して、新しい視点から切り込んだアクションなど、PRがもつ柔軟な発想と自由な手法を生かした、クリエイティビティあふれるエントリーに心を動かされました。今回エントリーされた取り組みの一つひとつが、これからの社会に新たな流れを生み出すきっかけとなることを期待しています。
『鳥肌が立つ、確定申告がある』―昨年度、ヘラルボニーの企業広告がACC賞PR部門で栄誉あるグランプリを受賞した瞬間、私の身にも鳥肌が立ちました。そして今年度、審査委員として作品に向き合う中で、再びその衝撃を全身で感じずにはいられませんでした。なぜこの企業が、なぜこのメッセージを発しているのか。信頼と説得力が土台にありながら、単なるプロモーション手法の枠を超えられているか。PRとは「発明」ではなく「発見」なのだと、頭ではなく肌で理解したひとときでした。
そもそも私の考える「PR」はとても広い概念でソリューションフリーな最強のもの。だから「広告」との違いや境など考えることそのものがナンセンス、と思っているのだが、こうしたアワード審査に参加させていただくと、まずはそこについて各審査委員それぞれの認識と向き合うことになる。その上で「PR」におけるクリエイティビティとは何かを問い、そしてそれがもたらした成果の意味を検証する。113作品とこの対峙を繰り返していくうちに、「PR」が持つ力の大きさと、可能性の広がりと、責務が確認されるのだ。
今回こうして選ばれた受賞作の在り様を通じて、それが多くの同志たちに伝わることを願います。
今年のデザイン部門は、医療機器のグランプリに始まり、老いにまつわる常設展示、不二家という老舗ブランドのCIや、実験型住宅、はたまたお酒のデザインまで、とても多様な受賞作に恵まれたと感じています。そのおかげで、「デザイン」という言葉の定義を改めて考え、それを広げつつも同時にその大切な芯が浮かび上がってくるような、深い議論をたくさん審査会ではすることができました。
グランプリのnodoca(ノドカ)は、さまざまな制約やハードルを超え、こういったテクノロジーによる医療現場の効率化を実現できるツールをきちんと社会実装しているという点で、もはや非の打ちどころのないプロジェクトでした。医療機器をはじめとしたメディカル領域には、デザインがもっと寄与できると個人的にも感じているので、こういったプロジェクトのエントリーがもっと増えると嬉しいなぁと個人的に思っています。
言葉にすると当然にしか聞こえませんが、アワードとは結局、応募いただいたプロジェクトにしか賞を授与することができません。なので、今年の作品群を見て「これなら私たちのプロジェクトも受賞できるかもしれない!」「こういったプロジェクトも応募していいなら、私たちも応募してみようか?」と思っていただけたならば、ぜひ来年ご応募いただき、ますます多様なデザイン部門になっていけたら、審査委員長として大変嬉しいです。
今回のACCが人生初の審査委員経験でめちゃくちゃ緊張しました。普段はインハウスのクリエイティブを盛り上げる経営者をとにかく頑張っているので、このような公の場での審査委員のお役目は社内のメンバーが喜んでくれるだろう!と委員長の川村さんのお誘いに飛びついちゃいました。
デザイン部門の「アイディアをカタチして社会に提案するプロセスを評価する」というポリシーには、社内での自分たちの価値基準でもありズバッと自分にはハマったので、審査中の皆さんの全ての発言に感銘を受けました。沢山の応募頂いたお陰で、デザインが世の中を良くすることを絶対的に信じ、今回の審査によりそれが社会に伝わる活動に参画できたことに心から感謝します。
初めて審査委員をやらせて頂きました。ACCのデザイン部門は、幅広いジャンルになるので、審査が本当に難しい。クラフトがすごい仕事と、社会的インパクトが大きい仕事と、医療機器と、ファッションと、ソーシャルグッドな施策に順番をつけるなんて無理です。
感覚や自分の好み等では、とても点数がつけられません。そのため私は、審査委員長の定めた4軸(クライテリア)を身体に染み込ませ、忠実に点数をつけていきました。
正直、自分が出品する側の時はファイナリストに入るくらいだと「なーんだ残念…」と思っていました。でも審査側を体験すると、こんなレベルの高い応募作品の中で、そこに入るのもすごいことだなとよく理解できました。
アワードというものは、何かを選ぶことで多様なプロジェクトに光をあてる機能を持っている一方、こういうものが受賞するのだという傾向を生むことでで、多様性の範囲を自ら狭めていってしまう性質がどうしてもあると思います。
そんな中でも、今年は医療機器や住宅など、今までになかったプロダクトをエントリーしようとしてくださった方が沢山いたことで、デザインという大きな概念を扱う部門ならではの多様な議論が展開されていたように感じます。
異種格闘技になればなるほど、エントリーされたプロジェクトからしか選べない難しさを感じましたが、デザインの可能性に向き合う良い機会となりました。
「作品とは何か、デザインとは何か」という問いを自問自答しながら臨んだ審査会で、今年の作品群がいわゆる狭義のデザインや「作品」という枠組みを超えた存在であることを強く感じました。社会課題の「本質性」、開発したテクノロジーへの「信頼性」、仕組みとしての「継続性」など、多角的な視点から行われました。特に、人々を魅了しながら世の中への浸透を後押しし、社会課題解決へのモメンタムを生むデザインの力が高く評価されていたのではないでしょうか。それは単なる表現や機能性を超え、未来への道標としての役割を果たしているように思えます。来年以降、どのような作品が生まれるのか、期待が膨らみます。
「誰がために」に曇りや言い訳がないか。表現の巧みさが伴うか。もらたすインパクトの規模は充分か。骨太な根本解決につながるか。デザインの多義性から議論や観点は当然なから多視点となり、ダイナミックレンジの広い受賞対象作品となっていると思います。共通して言えるのは、瞬間で強い印象をもたらす表現の技やアイデアというより、時間軸とその周囲のエコシステムも背負いながら成果をもたらすものが最後残ったようにおもいます。通底する価値観を覆したり、volatilityが高い今の状況下で課題に正面から向き合ったもの、たとえ少なくとも持てる資産と状況を活かして受け取る人の目線に立っているものなどが特に個人的には注目でした。
ACCにおける「デザイン部門」とはなんだろう? と審査をしながらいつも考えている。それは私だけでなく、審査委員みんなの頭の中にある。資料を拝見し、展示物をみると、確かにこれはデザイン部門なのかもしれないというものが浮き彫りになっていくのだ。一方向のクリエイティブだけでは語れず、多方向で多視点。領域横断的なと言いたいところだけど、そうとも限らない。きっと、「デザイン」という名の通り、少し先の未来に光を当てて、こっちかもしれないよと勇気を出して声を発するようなものが選ばれているのだと思う。少しづつフォーカスされてきた「デザイン部門」、社会を少し引っ張るプロジェクトが集まることを楽しみにしている。
デザイン部門の審査、驚きでした。
半分くらいは仕上がりの素晴らしさを競うクラフトの審査だと思っていたのですが、最終審査に残った作品の大半が「今、何をデザインするのか」というコンセプトと実現力が問われる個人的に好みなラインナップだったので、逆に新鮮な驚きでした。
そういう方向でいくのであれば、同様のトライをしている人たちにメッセージとして届くような作品を選ぶ必要があるなと感じながら、最終審査に臨ませていただきました。そうした意味で、グランプリを獲得した「nodoca」に出会えてよかったです。ふさわしい作品を選ぶことができたと感じてます。
デザインは力。私は常々そう感じながら活動し、その真価はいまだこの社会で発揮されていないと感じています。私も含めたデザインに関わる人が、社会をより解像度高く捉え、端々に転げ落ちる課題に実直に向き合う、考える、生み出す。文化的価値は勿論、経済や文明の発展に寄与する、社会にとって不可欠なこと。それを成し遂げるのがデザイナーの役割であり、存在意義だと感じています。
この部門は広義になりすぎたデザインという分野のすべてが表出される場所であると同時に、明確な範囲がないからこそ、デザイナーの「いま」への提案力、解決力の真価が問われる部門でもある。まだ物足りない、そしてまだ出来るはず。我こそはというエントリーを心からお待ちしています。
専門も経験もバックグラウンドも違う審査委員のみなさん。いつもそれぞれの審査委員のコメントが予想できず3年目の今でも新しい発見や気づきがあります。他の審査会と比べて多種多彩な応募が来るのでわかる人わからない人それぞれを補い合いながら深めていくディスカッションの時間。とはいえ言いたいことはちゃんといい、違うと思うことは違うと言える。。特に特徴的なのがそれぞれのエントリーのデザインとしての役割はどこにあるのか?機能性、社会性それぞれを違った角度からみて吟味しディスカッションを深める。だからこそバラエティーに飛んだ入賞作品のラインアップになると思います。ACCならではの唯一無二の審査空間だと思うし、自分にとって他の現場でも実践したいと思える学びの場でもあります。
深夜ラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」のファンダム力に着眼し、夜のマックへ来店してもらう課題を見事に解決した秀作で、審査委員の間でも文句なしにグランプリに選出されました。
オードリー二人のキービジュアルが余りに自然で、幸せな空気感である事も高評価でした。
「オールナイトニッポン」の完全無欠な?パロディというか、オマージュというか、スピンオフというのか。“意味のない広告”とは良く言ったもので、オードリーのラジオが多くのリスナーに支持されるのは、意味がないようで心のビタミンになる心地よさがあるからです。
マクドナルドの店舗がとにかく居心地のいい空間となり、オードリーのトークを聴きに訪れたリトルトゥースが売り上げでも大きな成果に繋がっています。
広告と空間とラジオとマクドナルドというブランドが境界線で仕切られることなく合体できたクオリティの高いコンテンツである。
私も関係者のはしくれですが、よほど「オードリーのオールナイトニッポン」が好きで、リスナーの事を理解していないとこの作品は生まれなかったと思います。
今回審査委員の先生方とも論点になったのは“メディア”としてどう機能し、受けてとのコミュニケーションがどう達成できているのか? そこにどんなクリエイティブがあるのか? 既存のメディア広告の枠を超えた話題性、展開、受け止めたユーザーの感性をどう擽るか!? その企画に携わった人たちにどんな狙いがあったのか?票を集めた作品は審査会においてもこのあたりが盛り上がりました。
オールドメディアであっても、その背景に広告主と消費者のストーリーがしっかりあって、エンドユーザーにクライアントの狙いがしっかり到達しているものがあります。広告主の皆様も、各メディアを一律一括りの判断ではなく、各社のそんな企画を見極めて取捨選択してもらうのはいかがでしょうか?
今年のACC審査会も楽しかったです。まさに時代!多様性!メッセージ性!新しいメディアの使い方を感じられる作品ばかりでした。特にテクノロジーの進化と、アナログな人間の欲求の掛け合わせを強く感じました。それ以上に審査委員の皆さまのキャラクターと脳内シナリオが面白く、審査会自体が楽しいものとなりました。笑。
情報が多く、供給過多のコンテンツに疲れている現代。「広告のクリエイティブ」が人の心と体を動かしていくきっかけになっているのは希望です。
消費者の方々の目線を忘れず、そこに寄り添いながら、さらなる気づきに繋がる作品がこれからも多く生まれることを楽しみにしています。
この度、初めて審査委員を務めましたが大変貴重な経験をさせていただきました。「メディア×アイデア」をテーマにした応募作品は、いずれも創造性に満ちたものばかりでした。
審査会では、様々なバックグラウンドを持つ審査委員の皆様から、多様な意見が飛び交う刺激的な時間でした。各作品がどのようにして独自の価値を生み出しているのか、また、それが広告主や社会にどのように貢献するのかなど、様々なアプローチで意見交換ができ、自分自身にとっても非常に指摘的な時間となりました。応募者の皆様、審査に関わった全ての方々に感謝申し上げます。
夜のマックを意味なく皆が集まる心地いい場所と捉える。楽曲を発見・共有するSpotifyコードを同性婚の法制化を求める署名に変える。BtoB広告が多く流れるタクシー内の空間を変える。堅苦しいコンサルのレポートを皆が興味を持つものに変える。番組グッズ配布イベントを音を立てずに盗むエンタメ体験に変える。…など、メディアの意味合いを変えるアイデアの卓越性とアウトプットの質/成果を審査する非常に刺激的な場でした。課題を解決するフレッシュなアイデアか。本当に人々を動かしたか。社会的意義をどう評価するかなど多角的な観点で充実した議論が行われたと思います。2回にわたって貴重な機会を頂き本当にありがとうございました!
昨年に続き、審査委員の機会を頂きました。今季はクリエイティブアイデアの面白さとともに、各メディアならではの消費者の巻き込み方、課題解決の在り方を再証明するようなノミネート作品が多く、印象的でした。オードリーのオールナイトマック、PRIDE CODE、ひみつのPRIMEなど、受賞作品はそれぞれに時勢や時流を捉えた空気感で、自然に消費者を引き込みながら新たな体験価値を創出する作品ばかり。メディアとの深いコラボレーションによって消費者の気持ちやアクション、社会を動かすような挑戦があり、こんな打ち手があったのかと審査会での議論が盛り上がりました。既存の枠組みを超えたメディアの面白さを再発見する “視点”と“考えるきっかけ”を与えて頂き、メディアを使った新しい表現への果敢なチャレンジの全てに心を揺さぶられました。
今回グランプリ受賞のオードリー若林さんが前に言っていたのは
「人がやったことない、新しい漫才なんていくらでもできる。
ただ、新しい漫才で尚かつ、面白い漫才を作るのが難しい。ウケなくていいなら、いくらでも斬新な漫才は作れる」
この言葉は、私が働くテレビの世界にも言えることですし
あらゆるジャンルに共通することかもしれません。
今回の受賞作は「新しく」「楽しい」だけでなく
広告として成果を上げている。
これがとても素晴らしい。
日本トップクラスのたくさんの才能に触れられて
今年も幸せな時間でした。
入賞された皆さま、おめでとうございます。
審査では、メディアアセットを活用したクリエイティビティや達成した成果に加えて、「メディアビジネスの進化に貢献したアイデア」を重視しました。
本部門には媒体社による自社メディアの価値向上を目指した企画が多く見られますが、中でもゴールドのIRIS「ひみつのPRIME」は秀逸な企画です。現状分析に基づいた課題設定、緻密なコンテンツ戦略設計とクリエイティビティ、そして広告主の業種拡大を含む売上増加だけでなく視聴者とパートナーの意識変化まで促した成果は、まさに「メディアビジネスの進化」を体現しています。
他の入賞作品にもたくさんのヒントが詰まっています。ぜひ、成功事例から学び、自社のビジネスに活かしてみてはいかがでしょうか。
これまで、エントリーさせて頂く身として、その年ごとの様々な受賞作品を拝見させて頂く度、(そのラインナップの幅広さと、審査基準の見えなさに)「難しいなあ」と感じていたメディアクリエイティブ部門でしたが、今回初めて審査委員として携わらせて頂くこととなり、ようやくその裏側(の議論)が覗けるとワクワクして臨ませて頂きました。
様々なジャンルの審査委員の皆さまの、選考基準やメディアクリエイティブというものの捉え方、ひいては「好み」の差が非常に興味深く、時間さえ許せばエントリーされた全作品についてそれぞれのご意見を聞いてみたくなりました。
結果、感じたこととしては「やっぱり、この部門は難しいです」ということに尽きるのですが(笑)、入賞作品については審査委員全員がその良さを語れるラインナップになっているかと思います。ありがとうございました!
審査は、「『メディアクリエティブ』って何なのか?」を考え続ける時間となりました。「新しいチャレンジであること」、「メディア×アイディアの独自性があること」、「メディアの価値を上げていること」に加え、結局のところ「お客様の心を動かしたか」、つまり「メディア×クリエイティブを通じて『なんじゃこれ!おもろい!』を生み出すことができたか」がポイントなのだと感じました。どうしたら、この様な数々の素晴らしいアイディアが生まれるのでしょうか?根底にあるのは広告主、媒体社、クリエイターそれぞれの熱い想い、熱量。そして、それらの化学反応により生み出されることは間違いありません。
初めて審査委員を務めましたが、数々の優れた作品を通じてメディアの在り方やその可能性を改めて実感しました。ユニークな作品が本当に多く、審査委員全員で真剣に議論を重ねることなり、各分野で活躍される皆さまの異なる視点や鋭い意見から私自身多くの学びを得る機会となりました。
クリエイティブな発想と掛け合わせることで、メディアが単なる情報発信のツールを超え、消費者との共創や体験を生み出す手段へと進化していることを強く感じています。今後も想像を超えるような作品を期待しています!
今年の審査の論点は「我々の生活はクリエイティビティとイノベーションの力により、どのように変わっていくのか」ということでした。
グランプリとして選ばせて頂いたのが、医療AIスタートアップであるアイリスが開発した、AIを搭載したインフルエンザ検査機器「nodoca(ノドカ)」です。
プレゼンテーションの冒頭で、アイリス代表・沖山翔さんの口から発せられたのは、医師としての葛藤と苦悩でした。
「離島や船の中でも医師として勤務していたが、自分の力で救えなかった患者さんがいたー」
救急医として、幅広い患者さんと向き合ってきたこそ見えた課題感が、沖山さんの医師としての人生を大きく変え、起業家となるきっかけになりました。
医療格差を解決したい。そのために、AIの力を使い医療検査に革命を起こし、救える命を救う。
初めてのものづくりの作業は戸惑うことも多く、医療関係者の共感を得るにも多くの苦難があったかと思いますが、沖山さんの意思を貫き、困難に立ち向かう力に共感しました。
インフルエンザに感染した子供が熱が出て苦しんでいる時に、さらに痛みを伴う検査を行うことは親にとっても辛いことです。
AIを使った革新的なプロダクトが我々の生活を大きく変え、社会課題を解決するための一歩になることを願っています。
クリエイティブ・イノベーション部門の審査会、とても楽しいのです。 それは、「困っている人を助けたい」「地域を良くしたい」「世の中を便利にしたい」などの「想い」と「行動」が応募作品に詰まっているから。そして、個性あふれる審査委員が「ガチ」で議論するから。身近ですぐに使えるもの、未来の姿を想像してみるもの、さまざまな作品について、社会インパクト、ビジネスモデルとしての持続可能性、技術の実装可能性など喧々諤々の議論。でも、最後はそれを超えた世の中へのメッセージの視点で着地しています。挑戦する人たちを応援しよう、称えよう、そんなムーブメントを感じさせていただくコンテストです。今年も素晴らしい作品が選ばれました!
「このテクノロジーや事業で私たちの生活が直接的にどれだけ良くなるか」そんな視点で選ばせて頂いている部門だと思います。ゆえに、ビジネス的にピカピカである、とか、有名である、といった通常であれば広告賞やビジネス賞で評価される項目の優先度が高くないということはあるかもしれません。純粋に意義を問える場は意外と少なく、貴重です。今回のグランプリには、コロナ禍を経験したから進化した医療分野の技術が選ばれました。他にも災害から立ち上がろうとしたことで生まれた新たな商売の仕組み(能登)、遠隔の人がDXによって他地域の行政にコンタクトしやすくなったプラットフォーム(佐久市)など、どれも意義の価値は計り知れません。
非常に悩みました。クリエイティブイノベーションとは何なのか。誰にも真似できないサービスをつくることなのか。誰よりも早く新しいプロダクトをつくることなのか。みんなが追随したくなる新しい市場を切り拓くことなのか。多くの投資を引き出せそうな事業のことなのか。たとえ小さくても地域の未来のために価値あるものを継承できる活動のことなのか。テクノロジーを使うことなのか。そもそもテクノロジーを使わなくてもいいのか。応募の数だけ、審査委員の数だけ、議論の数だけ、様々な答えがそこにはありました。ひとつあるとすると、上手なもの、整ったものより、手触りのある強い意志が込められているもののほうが、たとえまだゴツゴツしていたとしても、キラリと光っていた、という気づきです。非常に学びのある機会でした。
今回初めて審査委員として参加させていただきましたが、気づきの多い素晴らしいアワードでした。新事業の評価には、アイデア、スケール、実現可能性、成功確率、社会的インパクトなど多様な視点が必要です。今回はクリエイティブイノベーションの名の通り、「商売の起点に愛情があり、社会への貢献性が強く、共感度が高い」事業が選ばれました。どの方も幼少期の経験や生い立ちでの気づきが事業の出発点となり、それを社会変革の力に変えようと奮闘されている姿に感動しました。このような事業が社会に良い気づきをもたらし、バトンをつなぐ形で次世代や未来の社会に残っていくことを願っています。
イノベーションの選考基準は?「革新性や独自性を優先すべき」「事業性を伴ってこそである」「時流としてソーシャルインパクトやサステナビリティを評価すべき」など多様な背景の有識者によって繰り広げられた濃密な議論により、メッセージ性が強く且つバランスの取れた選考になったものと確信している。そんな中、ほぼ満場一致でグランプリに選ばれたのがAI医療機器「nodoca」である。同作品は全ての基準をバランスよくカバーした上で、創業者である沖山さん個人の魅力が抜きん出ていて、審査委員一同が彼の描く未来に希望を感じずにはいられなかった。今回の選考で見出された日本の希望が、世界を日常となる未来が今から楽しみで仕方ない。
「他人事の社会課題解決」ではない、「強烈に自分事化された実体験」から生まれたイノベーションの強さを感じた審査会でした。
生死と向き合った体験、震災で目にしたもの、家族に言われた一言、、、上位となったサービスやプロダクトは、どれも課題解決までの泥臭く長い道のりを、その強烈な実体験を原動力に乗り越えていたように思います。逆に言えば、最先端の技術があったとしても、そういった想いが無くては本質的な課題解決にはならないのだと改めて認識させられました。
受賞結果だけでは伝わりにくい、これからの未来に向けた強い想いが、より社会に広がっていくことを願います。
今年もたくさんの応募をいただきました。審査の中では、各作品がどれほど大きな社会・環境インパクトが実現できそうかを重視しました。当然、その中には、作品が財務的にも実装及び成長が可能であり、Viableであることが期待されます。特に当アワードは「クリエイティブイノベーション」ですので、新時代を切り拓くアイデアの独創性も高く評価された点です。斬新な作品を未来の時間軸で審査することは簡単ではありませんが、多彩な審査委員の皆さんと一次選考、最終選考ともに、多くの意見を交わせたことは有意義でした。その中で僕自身も意見や思いが変わることとなったシーンが何度もありました。受賞された皆さん、本当におめでとうございます。
今年は、例年にも増して、より多くの、オリジナリティあふれる魅力的な作品との出会いがあり、非常に楽しくも難しい審査会となったように思います。
特に決勝プレゼンにおけるみなさんの気迫はすさまじいものがあり、新しいモノやコトに向き合う皆さんはこんなにも強く、かつ尊い存在なんだと、改めて感じさせていただく機会となりました。
特に上位の作品に関しては、ビジネス観点に加え、よりそのものの持つメッセージ性の強さや与える勇気・影響力などを加味して選ばさせていただきました。どれも、社会をより良く変えていってくれる、そんな確信を持てる作品ばっかりであったと思います。
賞における優劣はそれはそれとして、それぞれのチャレンジはまだ始まったはがりであり、応募いただいた全てのチャレンジがより大きく羽ばたき、社会をよくする一歩になっていくよう、心より応援しております!
革新性や有用性に加えて、よりよい未来を創れるポテンシャルがあるかという観点を重視し、審査をさせていただきました。インクルーシブな作品も多く、審査をしながら涙することも。印象に残る作品がたくさんあり、受賞作品を決めるのがとても難しかったです。クリエイティブイノベーション部門は時代を反映すると伺っていましたが、世界は間違いなく優しく、そしてよりよい未来に向かっていると確信し、私自身非常に勇気づけられる経験となりました。
今回で3年連続3回目の審査委員参加となりました。例年に増して「これまで見たことがないモノ」「体験しなければ理解しづらいモノ」が非常に多く、審査=未来を先取りするという体験がシンプルに楽しかったです。また「地域の未来」を掲げる作品も多くありましたが、クリエイティブを以って地域ごとに独自の進化を遂げられるという事を垣間見れ、こちらも非常に有意義でした。
素晴らしい作品を創られた皆さまに心からの感謝と御祝を申し上げます。
2015年にBカテゴリー(Online Film)が生まれ、早10年。
年々、その盛り上がりが大きくなる中で、
じゃあACC最古の部門でもあるAカテらしさって何?
という議論に、けっこう熱がこもりました。
要約すると、それは「秒数の短さ」ではないかと。
実際、今年はゴールド以上に15秒、30秒が多く並ぶ結果となりました。
これはとても健全なことだと思います。
一方で、グランプリは4年連続のカロリーメイト。しかも120秒。
おいおい、話がおかしいじゃねーか!となる、そのお気持ちよく分かります。
審査委員の多くも、同じような気持ちだったのではないかと推察します。
申し訳ございません!!!
そもそも15秒と120秒を比べるのは無理があるでしょ、
という意見も聞かれ、もしかしたらAカテの中に、
秒数によるカテゴリー分けみたいなものが必要なのかもしれません。
ただちょっと興味深いのは、秒数自由のBカテゴリーのグランプリが、
20秒だったこと。マックの「特別じゃない、しあわせな時間。」。
世界中でBUZZったあの動画です。これはつまり、
すぐSKIPされたり離脱されがちなオンライン環境こそ、
「秒数の短さ」が正義だということです。
Aのグランプリが120秒、Bのグランプリが20秒。
見事に逆転しています。これは一時的なことなのか、
それともメディア特性上の必然の流れなのか。
カテゴリーの線引き自体が揺らぎ、やや混沌としています。
まあ個人的には、秩序ある停滞より、活気ある混沌の方が
100倍面白い気もするので、今後のフィルムカテゴリーの
進化が楽しみになる審査でした。
ひょっとしたら、Aカテ、Bカテそれぞれに1位を決め、
頂上決戦的にフィルムグランプリを1本選ぶ、
というのが面白いかもしれません。
今年はAだ、今年はBだ、みたいに盛り上がりそうです。