現在も「ハット」で現役ディレクター。「レナウン・イエイエ」「味の素ハイミー」「エチケットライオン・おデコ篇」など。庶民的で明るくハッピーな作風は、多くの人たちに親しまれ、草創期より現在までヒットCMを長年にわたって量産し、日本のCMを「愛するべきもの」として人々に認めさせた。また、カンヌをはじめ、海外でも数多くの入賞を果たし、日本のCMの質を世界に示した。
第3回ACCテレビ部門第一位、ACC賞グランプリ、全日本フィルムCM大賞など、1963年から1989年まで毎年ACC賞を受賞。テレビ広告黎明期から日本経済の高度成長期を経て現在に至るまで、長年にわたり、わが国を代表する広告主のCM制作に携わり、その間、共働作業を繰り返すことで多くの後輩クリエイターを育成、日本のCMの質の向上に貢献した。選考委員の強い推薦で、今回殿堂入りとなった。
演出家の杉山登志氏と組んで、資生堂のCM音楽に深く関わった。メロディ作家というよりは「音楽をデザインする」という点で他の作曲家たちとは決定的な違いがあった。シャープでモダンで、そして映像を理解し際立たせるという意味でまさしく「CM音楽家」であった。ACC入賞も200本以上。才人で、「能吉利人」というペンネームを持つ詩人でもある。
「博報堂にフジイあり」と言われた伝説のプランナー。「あんた松下さん」「どん兵衛」「少し愛して長く愛して」など、人情味とユーモア溢れるCMは、多くの人たちに愛された。ありあまる才能を残したまま、早逝した。
電通映画社の企画・演出家として、電通のラジオテレビ企画制作局とともに、テレビCMの草創期を切り拓いた。「レナウン・イエイエ」「ダーバン」など歴史に残る仕事をしたが早逝した。電通映画社の名実ともにリーダーで、川崎徹氏など数多くの演出家を育てた。杉山登志氏と並び称される。