クリエイターズ殿堂

第7回 クリエイターズ殿堂

大瀧 詠一
大瀧 詠一 氏(故人)
選考理由

70年代から80年代へかけて、日本のCM音楽はそれまでのコマソンから、大きく変化した。
“ニューミュージック”を生み出した、シンガー・ソングライターたちのCMへの参入である。とりわけ、大瀧詠一は、CM音楽に対する特別な価値観を持っており、「ナイアガラ・CMスペシャルVol.1」というCM作品だけのアルバムも制作している。三ツ矢サイダー「Cider’73」、資生堂81冬キャンペーン「A面で恋をして」、AGFマキシム「熱き心に」など、CMソングから国民的な大ヒットを量産した。

プロフィール
おおたきえいいち。シンガー・ソングライター/作曲家・音楽プロデューサー。1948年(昭和23年)岩手県生まれ。日本のポピュラー音楽に絶大な影響を与えた。70年、細野晴臣らと「はっぴいえんど」を結成。73 年に解散し、ソロ活動の場をCM ソングの制作に求めた。翌年にナイアガラ・レーベルを設立。
アサヒ飲料“三ツ矢サイダー”では、CM ソングの名作「Cider’73」を制作して、CM 音楽に新時代をもたらす。その後、一貫した自由な音作りで、短い期間ながらもそのセンスを充分に発揮した。「風立ちぬ」、「君は天然色」、「夢で逢えたら」、「熱き心に」等の楽曲で、70年代から80年代半ばに多くの広告主のCM に携わった。2013 年(平成25 年)急逝。享年65歳
市川 準
市川 準 氏(故人)
選考理由

彼のCMには、いつもつつましい市民の生活があった。人間の欲望をどこか哀し気に、そして愛し気に描いた。70年代までのCMは、人々の「夢の暮らし」を描くことに力を注いできたが、市川準の虚飾を取り払った市井の人々への視線は多くの人々の共感を呼び、沈滞しかけていた日本のCMに新しい活気を与えた。
映画監督としても成功したが、CMにも同じくらいの情熱を最後まで傾けた。ACC賞で、最多入賞ディレクター。

プロフィール
いちかわじゅん。1948年東京生まれ。1975年CM制作会社(株)キャップに入社後、1981年にフリーとなり、1984年市川準事務所を設立する。CM演出家として「禁煙パイポ」、「NTTカエルコール」、「金鳥タンスにゴン」、「三井のリハウス」、「ヤクルトタフマン」、「サントリーオールド」など数多くのヒットCMを演出。1985年にはカンヌ国際広告映画祭で金賞を受賞。CM界の第一線で活躍を続ける中、1987年に映画監督としての第一作「BU・SU」を発表。以降、「会社物語」、「病院で死ぬということ」、1995年「東京兄妹」(第46回芸術選奨文部大臣賞、第45回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞)、「東京夜曲」などを手掛け国内外で高い評価を得る。2005年「トニー滝谷」ではロカルノ国際映画祭審査員特別賞をはじめとする多くの受賞を果たした。2007年「あしたの私のつくり方」発表後、自らハンディカメラを回した自主制作映画「buy a suit スーツを買う」の製作に取り組む。2008年9月19日「buy a suit スーツを買う」の編集を終え急逝。享年59歳。
杉山 恒太郎
杉山 恒太郎
選考理由

80年代は、個人の「作家性」が、沈滞しかけた日本の広告を動かした。CMプランナーもそんな時代の中にあった。その時に登場したのが杉山恒太郎だ。彼のCMには今までになかった「文体」というものがあり、どこか「知の快感」をくすぐるものだった。当時の大学生がCMへの憧れを持ったとも言われる「ランボー」(サントリー)にしろ、日本初のビデオCM「ピッカピカの一年生」(小学館)にしろ、「セブンイレブンいい気分」にしろ、彼の映像とコピーは時代を超えて人々の記憶に残るチカラがある。彼の洞察力が、CMを普遍に辿りつかせるのだろう。CMを「ジャーナリズム」と言いきる無二の人でもある。

プロフィール
すぎやまこうたろう。大学卒業後、電通入社。1990年代後半よりデジタル領域のリーダーとしてインタラクティブ・コミュニケーションの確立に貢献。トラディショナル広告とインタラクティブ広告の両方を熟知した数少ないエグゼクティブクリエイティブディレクター。主な作品に、小学館「ピッカピカの一年生」、セブンイレブン「セブンイレブンいい気分」、サントリーローヤル「ランボー」他シリーズ、ACジャパン「WATER MAN」など。カンヌ国際広告賞金賞ほか、国内外の受賞も多数。
中山 佐知子
中山 佐知子
選考理由

1980年から現在に至るまで、ラジオCMひとすじ。ACCの入賞本数は150を超える。ラジオCMの衰退が言われる昨今だが、若いプランナーを叱咤しながらラジオCMをつくり続けている。「大賞」や「最優秀賞」も幾度かに及び、彼女の広い知識と技術が今のラジオCMを支えている。
実績もラジオへの情熱も圧倒的。日本のラジオCMにとって「大切な人」でもある。

プロフィール
なかやまさちこ。コピーライター&ディレクター。ランダムハウスで長くラジオCM制作に携わり、サントリー、トヨタ自動車、キユーピー等の作品を手掛けてきた。1985年にサントリー「角びん」、1991年サントリー「山崎」で全日本ラジオCM大賞(現 総務大臣賞/ACC グランプリ)を2度受賞した他、広告電通賞、フジサンケイグループ広告大賞、民放祭(現日本民間放送連盟賞)で大賞を受賞し、ACC賞は150作品以上獲得している。
また2002年から2016年までACC賞のラジオCM部門の審査委員を務め、経験豊かな視点と鋭い洞察力で審査に携わり、ラジオCM界の発展に寄与している。
中堀 正夫
中堀 正夫
選考理由

80年代はスチールカメラマンがCMに大勢参入した時代ともいえる。しかし、彼らの美しい映像は時として静止した美しさでもあった。その中にあって中堀正夫はムービーカメラマンとしてカメラワークを駆使して映像に躍動感と奥行きを、そして物語を与えた。特に実相寺昭雄と組んだ一連のニッカウヰスキーのシリーズは美しさとともに、カメラワークの斬新さで人々を圧倒した。同時に多くの若いCMディレクターに映画作法によるストーリーテリングの技術を示唆した。さまざまなディレクターと組んでACC賞を数多く受賞(146本)している。

プロフィール
なかぼりまさお。ムービーカメラマン/撮影監督。1943年(昭和18年)生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部映画学科在学中から映画「太平洋ひとりぼっち」の特撮を手掛ける円谷特技プロダクションの現場へ参加。卒業後、円谷プロダクションに入社し「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」の撮影に携わる。その後、日本現代企画、東京映画やコダイグループで活躍。CM界では1970年代より多数の作品に関わりACC賞を140数本獲得。特にニッカウヰスキーのキャスリーン・バトルを撮影した一連のシリーズCMは、1987年と1988年に連続してACC賞を受賞した。映画「帝都物語」「悪徳の栄え」「屋根裏の散歩者」「姑獲鳥の夏」などの撮影監督としても知られている。
高橋 靖子
高橋 靖子
選考理由

CMの創成期に、役割が確立されていなかった「スタイリスト」を、職業として自立させたのは高橋靖子だった。CM全体の構成を理解し、積極的に関与し、スタイリストとしての技術の重要さを業界に知らしめた。
山本寛斎のファッションショーや、デヴィッド・ボウイの衣装担当など、CMの枠を超えて「スタイリスト」を憧れの職業として確立させた。

プロフィール
たかはしやすこ。スタイリスト/アートデザイナー。早稲田大学を卒業後、大手広告会社に就職。1960年代半ばからフリーのスタイリストに転じ、日本のスタイリストの草分け的存在として知られる。1970年代にロンドンに渡り山本寛斎のファッションショーを成功させる。その後、デヴィッド・ボウイや忌野清志郎の衣装を担当。80年代に入り学生援護会「DODA」や武田薬品工業「アリナミンV」アーノルド・シュワルツェネッガーのCMでACC賞を受賞し、好景気に沸く日本列島のCMブームをスタイリストの立場から支えてきた。その後もサントリー「BOSSシリーズ」や多くのCM作品でACC賞に輝き、今もこの広告業界を照らし続けている。

【第7回クリエイターズ殿堂 選考委員】(五十音順)

  • ■ 選考委員長
    杉山 恒太郎氏
  • ■ 選考委員
    岩本 恭明、小田桐 昭、西田 善太、早川 和良の各氏