トリローグループの一員となり、野坂昭如氏らと組んで多くのCMソングを作曲した。特に、名作と言われた明治製菓(当時)の「チョコレートの唄」はACC賞ラジオCM部門のグランプリを受賞し、現在でもCMソングとして使われている。また、テレビのCM映像と音楽という面でも、CMに強い情緒性を与える新しい試みを続けた。後に「オールスタッフ」を設立し、多くのCM作曲家を育てた。さまざまなジャンルでヒットソングを数多く生み、やがてミュージカルの育成も目指したが、62歳で没した。
番組よりCMが面白いと言われた「日曜洋画劇場」の中で放映された東條忠義氏のサントリーのCMは、「60秒のエッセイ」と言われ、多くの人たちから人気があった。「開高健よりも開高らしく、山口瞳よりも山口らしい」と言われた氏のコピーは人間の機微の不思議や面白さを、わずか60秒の世界で見事に描いてみせた。知的なエンターティメントを究めた人であった。「CMは文化だ」と、世の中の人たちに認めさせた人でもあった。
さまざまなスタッフを使いながら、ACC賞のラジオCM部門で13年間で11回グランプリを獲り続けた偉業を達成。少なくとも、中心のアイディアは堀川靖晃氏がコントロールしていて、ラジオCMの表現の極致を常に目指していた。現在でも、パナソニックがラジオCMの力を信じ、ラジオの新しい表現に挑んでいるのは、氏の培ったものが生きているからなのだろう。
初期のテレビCMは、カメラと照明は完全に分業化されており、全体のトーン&マナーの決定者は誰であるのかはっきりしていなかった。やがて、スチールカメラマンの参入が盛んになると彼らは照明の設計も、当然のように自分で行うようになった。撮影の規模が大きくなったり、人物の動きがダイナミックなものになると、分業としての照明が必要となり、スチールカメラマンの意図を理解し、実行できる照明マンが必要となった。そこに登場したのが、髙宮丈夫氏だった。もちろん、間接照明など、グラフィックな映像に近づく試みをしてきた照明マンは、それまでにもいなかったわけではない。しかし、照明マンが単独に「才能」として業界の人々の話題になったのは髙宮氏が初めてだと思う。影を消すたびに、ライトがまたひとつ増えて行くという、ハリウッドスタイルのはん雑な照明から、むしろ陰影こそが美しいというCM独自の映像を確かなものにした氏の革新性は今でも日本のCMの中に生きている。