故・内田 建太郎 氏
1960年代、当時の「一企」のCMプランナーでありディレクター。後に独立してディレクターとなった。60年代から70年代にかけて「三菱レーヨン」「アサヒペンタックス」「ブリヂストン」などのCMで独特なユーモアとパロディで、杉山登志と人気を二分していた。その後、松下電器のCMなどで数多くの海外の賞を受賞している。
1970年代「CMのクロサワ」と呼ばれ、「マンダム・チャールズブロンソン」からはじまる外国人タレントを起用したCMのほとんどを演出した。アンダーグランド映画の旗手としてスタートし、CMで数々の実験を重ねながら映画監督としての地歩を築いた。特にフィルムの合成技術をつかった華麗な映像は、CMを新しいフィルムアートのひとつとして世の中に認識させた。
「レナウンワンサカ娘」「レナウン・イエイエ」などパンチの効いたCMソングは、「CM元禄」と呼ばれた1970年代初頭のテレビの隆盛と日本経済の高度成長を告げるラッパでもあった。彼のメロディは親しみやすく、西欧的なものから日本的なものまで幅広く、多くの名作が残されている。間違いなくCM音楽の巨人のひとりである。
杉山登志と同じ「日天」の中心ディレクターであった。「CMランド」設立後、グラフィックデザインのアートディレクターやコピーライターたちと組んでシャープで新鮮な映像をつくり出した。「パルコ」や「サントリー」の一連のCMで、前衛的な若者たちを魅了した。CMよりもむしろデザイン界の賞が多い。そうは言いながらおどけて楽しい「おやつはカール」の名作もまた高杉治朗である。